ブサイクバカンス読書部

読んだ本の感想を書くブログです。

【感想】古賀亮一『宇宙警察☆ミーティアわんわん1~3』

 銀河の平和は我らが守る!

 

そんなフレーズが脳の中で響き続けていてお困りのかた、いらっしゃいますでしょうか。

 

もしくは、アルミホイルを毎日食べることで電波の受信率をアップさせたら冒頭の一文を脳が受信して受信してどうしようもない、というかたもいらっしゃいますでしょうか。

 

あ、そうですか。緊急入院をしたことでだいぶ症状は緩和されましたか。僕も先日、彫刻刀で脳の一部を削ったら症状はおさまりましたよ。

 

そんなこんなで「銀河(宇宙)」とか「平和」とか「守る」とか「あだち充」といった類への拒否反応がすっかりなくなった僕は、偶然本屋で見かけた本書『宇宙警察☆ミーティアわんわん』を右手の小指と左の耳たぶでつまんで、そのまま器用にレジへと運んだのでした。

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愛・忘れてました【作者紹介】

本作の作者は古賀亮一先生。可愛い絵でギャグ漫画を描き続けている方です。

 

Wikipediaを見てもデビュー年はよくわかりませんが、初の単行本である『ゲノム』1巻から推測するにおそらく97年頃。

 

世間的には2004年にテレビアニメ化した『ニニンがシノブ伝』がもっとも有名でしょう。

 

Wikipediaを見てまとめると(コピペすると)、以下のようなおもしろ作品群をリリースしております。

  • ゲノム
  • 忠犬ディディー
  • ニニンがシノブ伝
  • 電撃テンジカーズ
  • そんなネコな!
  • チョコんとチロルちゃん
  • ユレバケ
  • たまプラ
  • メイドのフミエさん

出会いはおそらく、まだ牛丼太郎が健在だった2002年ごろ――。

 

ペットボトルロケットを沢山連結させたもので星間逃亡を繰り返す生活おくったりおくらなかったりしていた10代後半から20代前半。

 

当時の僕が「この作家の漫画ならひととおり読みたい。そしてあわよくば抱かれたい」と思っていた作家のひとりが、古賀亮一先生でした。

 

ぼくが当時運営していたテキストサイトの読者で、エレクトロニカやフランス現代思想への関心の入り口となった大学院生に『ゲノム』を教わったのがきっかけ。

 

で、秋葉原のオタクショップで購入。

 

週刊少年ジャンプやヤングキングアワーズといった大メジャー誌に載っている作品ではないので、キモオタの聖地へ赴くのが確実だろうとの判断でした。

 

そして、帰宅してすぐに読んだところ、なんと即ハマり!

 

3巻くらいまでは既に出ていたので、ただちにお母さんの財布からお金を抜き、書店に走りました。

 

そしてゲノムのみでは飽き足らず、べつ作品にもばんばん手を出していったのでした……現実の女性にはいっさい手を出すことなく。

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そんなコガリアン(ハリー・ポッターのファンを「ポッタリアン」、シャーロック・ホームズのファンを「シャーロキアン」、勝間和代さんのファンを「カツマー」と称するのとおなじアレ)だったぼくですが、いつのころからか、おもしろいとわかっていながらも、古賀亮一先生の新刊が出ても買わなくなりました。

 

ムショ暮らしで世間と隔絶されていたわけでもないのにもかかわらず、なぜ買わなくなったかというと……。

 

とくにこれといって理由もなく。

「あ、ゲノムの新刊でてるけど、他に買い物しすぎてるし、後日買うか」

なんて思っているうちに、時は過ぎ、すっかり忘れてしまっていったのでした。~買・わすれていました~(通称:買わす)。

 

まぁ、このころ(20代後半くらい)には、朝食を食べたことすら忘れるようになり、三世帯で暮らしている息子夫婦に朝食を要求してはたしなめられていたので、仕方ないといえば仕方のないことでしょう。

 

『宇宙警察☆ミーティアわんわん』ってどんな漫画?【概略】

『宇宙警察☆ミーティアわんわん』は、2013年創刊の漫画雑誌「コミック電撃だいおうじ」で、創刊より連載しているギャグ漫画です。

daiohg.dengeki.com

10ページくらいの1話完結ものです。うわぁい、読みやすい!

 

世界観
いろんな宇宙人がいっぱい地球にやってきて馴染んだ時代。
しかし、やってくるのは良い宇宙人ばかりではない。新たな活動拠点として地球に目をつける、宇宙凶悪犯罪者もいる。
つまり変な宇宙人がいっぱい出てくるおもしろ世界観です。いぇーい!

 

おおまかな物語
宇宙凶悪指名手配犯の108号が地球に逃げ込んだという情報を元に、銀河系惑星連邦宇宙警察のミーティアとプロキオンが地球にやってきます。

やってきたはいいんですが、あんまり108号の情報もないまま、強化人員としてかぐやが配属され、毎日を楽しく過ごしつつ、そこそこ宇宙警察っぽいこともしている日々。いいのか、それで!?


主要なキャラ紹介
ゲスト的な宇宙人が多数登場する漫画ですが、そういうモブ以上恋人未満みたいなキャラはおいておいて、メインキャラと準レギュラーを紹介します。

 

1巻の作者あとがきによれば、初期の想定ではツッコミ役だったはずもボケがしっくりくるようになってしまったとのこと。

 

なので、調査会社に、キャラのツッコミ:ボケ比率の詳しい調査を依頼しました。

 

以下はごく簡単なまとめと、慶長十八年創業の《総合調査と甘味処のたなかリサーチ》によるツッボケ比の調査報告です。

 

ミーティア
宇宙警察地球部署の勤務をじゃんけんで勝ち取った巡査。
犬星人でちびっこ。
天才バカボンの本官さんのごとく鉄砲をバンバン撃つ。

 

ボケ:五藤久美子の5 ツッコミ:五ン中山の5

 

かぐや
人員強化のために派遣された巡査。
ミーティアとおなじくらい子供。
表情がほぼ変わらず、独特の雰囲気をまとっている。

 

ボケ:ペ・四ジュンの4 ツッコミ:六角精児の6

 

プロキオン
ミーティアといっしょに地球にやってきた警察犬。
一見すると可愛い犬だが、さまざまなパワードスーツを着込んで大暴れする。

 

ボケ:5ダイゴの5 ツッコミ:ゴダイ5の5

 

おまわりさん
地球の警察のおまわりさん。
同じ顔がいっぱいいるけど、いちおう別人。名前も途中で判明する。

 

ボケ:3プラザ中野の3 ツッコミ:七人の七の7

 

ステラ
猫星系の女怪盗。かなりポンコツ。
この漫画のレギュラー・準レギュラーの中ではおっぱいが大きめ。

 

ボケ:二代目林家三平の3 ツッコミ:水樹七の7

 

タコ星人
1話から登場する宇宙人の準レギュラー。スーパーマーケットで働いている。
翔太郎という名前あり。生意気にも彼女持ち。
ミーティアたち宇宙警察の被害を一番被ってるキャラ。

 

ボケ:ク零ジーケンバンドの0 ツッコミ:十実野菜の10

 

店長
スーパーマーケットノヴァの店長。七三分け。
スーパーマーケット拳法の使い手。

 

ボケ:根津甚八の8 ツッコミ:2ニンがシノブ伝の2

 

レオーネ
黄色戦隊イエロージャーに出演する女優。
おっぱいが大きい。

 

ボケ:壱原悦子の1 ツッコミ:九急戦隊ゴーゴーファイブの9

 

黄色戦隊イエロージャー
いわゆるスーパー戦隊だが、全員黄色系。
特撮番組とヒーローショーをやっている。
ミーティアやかぐやは彼らのファン。

 

ボケ:伊十院光の10 ツッコミ:零ディアントシルバーガンの0

 

宇宙凶悪指名手配犯108号
名前と設定だけ出てくる謎の犯罪者。3巻時点ではいろいろと不明。

 

ボケ:ご注文はうさぎですか?の? ツッコミ:うちのタマ知りませんか?の?


また、調査を担当した調査員兼販売員兼代表取締役、13代目田中・ロバート・大福左衛門氏による季節のオススメ和菓子は桜葉の香りが広がる上品な「道明寺」。


なめらかで口どけの良いこし餡とつぶつぶの食感が絶妙の一品だとのことでした。

 

最初の数話と更新分の最新話は、ニコニコ静画やComic Wakerにも公開されています。レッツクリック!

seiga.nicovideo.jp

comic-walker.com

愛・おぼえてなかったけどおもいだしました【感想】

そもそもギャグ漫画に感想もクソも、って気もしますが……。

 

読んでいるうちに、10年近い古賀亮一ブランクを取り戻し、僕ことブリタイ司令は古賀亮一を取り戻し、マクロスを援護しましたよ。

 

基本的なギャグの傾向は昔から変わらず。ギャグの中心にいるボケ役の男性(非人間)と下ネタとときどき登場する猿。女の子のボケはもうちょい可愛い感じ。そのすべてがセンス溢れるセリフ回しで構築されてるという。

 

そういうことでいうと、一作気に入ってしまうと、作家買いしてどれも楽しめるんですよね、古賀作品は。

 

どれも楽しめたうえで、キャラや設定などの好みで序列が生じる感じです。

 

そういう序列でいえば、僕的には過去の古賀亮一作品をふくめて、かなり上位、最上位ランクに気に入ってしまいました。

 

絵についていうと、もちろん鳥山明や大友克洋レベルのとんでもなく上手い絵ではないです。
が、すっかり作品に必要な画風で完成されていて、洗練されてます。

 

ためしに『ゲノム』初期や『ユレバケ』を少し読み返してみると、ほんっと画力向上が著しい。

 

異世界から転生したてホヤホヤ、または地元にテレビが放送の電波やってきて1年未満なのでアニメのニニンがシノブ伝すら見たことない方のためにいうと、過去作品はおおよそ、胸がおおきくってぷにぽよっとしたヒロインが出てきます。そういう柔らかそうな絵柄です。

 

今作では、古賀亮一としては珍しいほうだと思いますが、メインのヒロインが二人とも細身で小柄。なんせ子供、ちびっこ婦警さんですので。

 

小柄ですが、従来どおりほっぺたとかはぷにっとしたキャラデザで、ちょっと指先でつんっと押してみたくなります。

 

もしくはお触り厳禁なら、マシュマロやちぎったパンケーキ等の、あたっても女の子が傷つかないものポーンって投げあてて、跳ね返る瞬間を映像に収めたくなります。

 

にしてもです。

 

絵の完成度のおかげで、キャラがちゃんと動くこと動くこと。

 

子供婦警さんで小柄細身なせいか、けっこう珍ポーズをしてくれて、可愛いし楽しいです。


2巻収録の「捜査20」(20話のこと)なんか、その最たる回なんで、ぜひ読んでいただきたく。

 

今作についてあとぜひお伝えしたいこと。

 

それは「古賀亮一入門にもいいぞ!」ということです。

 

代表作で長く連載している『ゲノム』も良いのですが、けっこうな巻数を数えており、いきなり手を出すにはハードルが高い。

 

完結済みで全4巻の『ニニンがシノブ伝』ももちろん素晴らしいのですが……。

 

人によっては「ご先祖さまが忍の者に秘密情報を盗み出されなければ戦国時代の勢力図は違っていたはずなのに……!」という方もいるでしょうし。

 

あるいは幼い頃、夜中に偶然目撃してしまった、お母さんがお父さんのくの一しているところがトラウマになっている方も、そこそこいらっしゃるでしょうし。

 

なにより、完結作を読みきっちゃうと、そこで関係が切れちゃいそうですし。

 

わくわくどきどき胸躍らせつつ、にゃむにゃむざぽざぽ特殊な器官を動かしつつ次の巻の発売を待ち。

 

そして次の巻を待ちきれず、既発表作品を読んでいくコースがいいと思うんですよね。

 

2作目のアニメ化をするなら絶対にこれ。間違いなくこれ。
最近よくある10~15分アニメなんかでもいいかもしれない。

 

というわけで、ぜひともゲルゲット(ショッキングセンター(井出功二))からのアニメ化待ちですよ、みなさん!

 

宇宙警察☆ミーティアわんわん(1) (電撃コミックスEX)

宇宙警察☆ミーティアわんわん(1) (電撃コミックスEX)

 
宇宙警察☆ミーティアわんわん(2) (電撃コミックスEX)

宇宙警察☆ミーティアわんわん(2) (電撃コミックスEX)

 
宇宙警察☆ミーティアわんわん(3) (電撃コミックスEX)

宇宙警察☆ミーティアわんわん(3) (電撃コミックスEX)

 

【感想】東浩紀『ゆるく考える』

 限りなく3月に近いけど、日付上はもう4月です。

 

ほんとうはもっとはやく更新するはずだったのですが、ウルトラのツアーのチケットも確保済みだった電気グルーヴファンなので、ちょっと精神的にキツい時期がありまして。
逮捕報道が出た翌日なんて心身が絶不調で……。

 

ほんっとうに不調で、「夜は墓場で運動会、深夜は畳でゴム草履」「夢の中でもタワシが売れない」「ユニフォーム姿の半漁人」「賽の河原で学級会」「貴い手淫、「貴ナニー」」など、数々の言葉が脳にあらわれては消えあらわれては消え。

 

せっかくだから、浮かんだ文言を、電極を刺してコンピュータに繋いでるタイプの友人の脳に直接、端末から送り込んでは消し、送り込んでは消し。

 

そんな遊びをしているうちに少しずつ少しずつ気持ちも上向きになり、「まぁ、スモールルームフィロソフィ哉さんも逮捕されたことあるし……」なんて後ろ向きな慰め方もしつつ、ようやく読み終えたのがこの本、東浩紀『ゆるく考える』というエッセイ集です。

 

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で、その感想なのですが、収録された各エッセイひとつひとつに書きました。

 

なので長いです。ブログ記事のクセに全部で1万9千字あります。

 

しかも「全部にコメントしよう」と目標を立てて読んだはいいものの、すべてに感想なんてあるわけもなく、無理やりコメントしています。

 

なので、このブログ記事は時間を奪うくせに、あまり読む価値がありません。

 

・死刑囚って暇だなーという人
・一生出られないけどインターネット接続環境だけはある穴に住んでる人
・建前上は処女ということになっている人気女性声優のヒモとして暮らしてる人

 

あたりの、時間が有り余っている人たちを除き、この先を読み進めないことをオススメします。

もしくは、当記事いちばんお尻に配した「最後にちょっと思ったこと」という本全体の感想までいっきにとんでください。下の目次をクリックすれば飛べます。

  ファウストの菅野ひろゆき対談もメフィストの小松左京対談もページ数物足りないよね【著者紹介】

東浩紀さんは東京大学在学中である1993年に雑誌『批評空間』にて批評家デビューし、以来25年以上批評家・哲学者として、最前線にて活躍してる方です。
愛称は「あずまん」(小学生時代は「あんず」)。


近年は批評のために会社経営にも挑戦していました。

 

ぼくが東浩紀さんの文章と出会ったのは、96~97年ごろ。
まだ親の目をかいくぐって手淫をする方法論の確立前夜だった中学2年生のぼくは、クラス替えによってオタクなクラスメートと出会い、オタク人生を歩み始めておりました。

 

96~97年といえば、ま、「スレイヤーズNEXT」や「機動戦艦ナデシコ」「少女革命ウテナ」なんかもありましたが、なんといってもオタク界最大の話題作は「新世紀エヴァンゲリオン」でした。

 

オタク友人の勧めでエヴァのビデオをレンタルし、エヴァブームに足を踏み入れていったぼくは、一冊の本に出会いました。
それがスタジオボイスのエヴァンゲリオン特集号です。

ここに収められている「庵野秀明はこう語った」という文章で、あずまんテキストのロストバージンをしました。

 

が、といっても中学2年生だったし、インターネット環境もないし、あったとしても今みたい情報に満ちた時代ではなかったので、記名されたライターの名前を手がかりにして当時の彼のほかの仕事をチェックするなんてこともなく。
ぼくはぼくで、あかほりさとるの小説を読んだり林原めぐみのラジオを聴くオタクライフを送っていました。

 

そして21世紀をむかえ、ネットで知り合った京大のインテリに薦められた『動物化するポストモダン』により、東浩紀の文章と再会することとなったのです。2005年ころのことでした。

 

といっても本格的にファン化したのは2008年ごろ。ニコニコ動画にそこそこ彼の動画がアップされ始め、しゃべりを聞くことによってでした。

で、ファン化して驚いたこと。


それは趣味的な共通点の多さです。

 

ざっと挙げると、エヴァはもちろんのこと、押井守(六本木ヒルズのイベントに毎年行く程度にはファンだった)エロゲー(ぼくは剣乃ゆきひろ、key、アージュのファン)、新本格ミステリ(メフィスト賞を入り口にして、島田荘司と京大ミス研の作家等を読んでいった)SF(初期2ちゃんねるの剣乃ゆきひろスレ内でYU-NOの元ネタとして小松左京『果しなき流れの果に』の名が挙がっていたのがきっかけ)。

 

またテクノやエレクトロニカ、ノイズが好きだったので彼の友人である渋谷慶一郎のことは知っていたし、ダイアルアップ接続時代からホームページを作っていたので、HTMLタグ手打ち仲間だったりもします。

 

とまぁ、(おそらく深さにおいてだいぶ差はあるのでしょうが)趣味的な共通点はあるわけです。

 

しかし、学歴や経歴は、ドバイの超高層ビル屋上に設置した脚立の一番上とマリアナ海溝最深部に掘った穴くらいの圧倒的差があります。


著者は東京大学とその大学院を経て博士号を取得。
慶應義塾大学文学部講師、スタンフォード大学日本センターリサーチフェロー、東京大学情報学環客員助教授、国際大学GLOCOM副所長を歴任後、早稲田大学文学学術院教授と東工大世界文明センター特任教授を兼任という、なにがすごいんだかわからなくなるくらいすごいです。

 

こっちは牛骨爆砕大学薬学部声優タレント科で和泉式部日記や万葉集なんかのゼミに出て、なんか冴えない感じで過ごしてましたから。

 

ちなみにこの東浩紀先生。かつてはその知性のみならず、イケメンぶりも話題になったりしてまして。
声優の柚木涼香さんのお墨付きをもらったりしています。

 

この点もこちらと比較するなら、イケメン度も惨敗です。

こっちは目と耳の位置が逆だし、右ひじには人語を喋る人面創があります。
骨盤にいたっては、皮膚の内側に存在せず、2メートル後方の腰の高さに浮遊しているという、なかなかの非人間っぷりですので。

 

『ゆるく考える』ってどんな本?【概略】

本書はいわゆるエッセイ集というやつです。

 

この本は全体で3つのパートにわかれています。

 

まず1部は2018年に週1で日本経済新聞に載ったエッセイをまとめたもの。

2部は、この本のタイトル『ゆるく考える』の元となった「なんとなく、考える」という雑誌『文學界』での連載をまとめたもの。

3部は2010年から2018年までの間に各媒体に単発で載った短い文章の寄せ集め。

 

つまり、たんに発表順に並べるということはせず、「現在」→「過去」→「過去から現在に至る過程」という構成をとっています。


なんだかおなじ著者によるSF小説『クォンタム・ファミリーズ』の「物語外1」「第一部・第二部」→「物語外2」という構成に似ている気がしますが、これは偶然でしょうか。

 

イエーイ、あずまん見てるー? ムシロオレガオマエヲミテイルゾ【感想】

1本1本の感想

ⅰ 2018

「坂のまち、東京」
東西南北に下り坂があり、自転車で移動するのがきびしい場所にすんでいる板橋区民のぼく的には「わっかるわー、東京の坂感。坂上秋成って感じだよねー」なんて思いながら読んだ。

 

もしかしたらどこでもそうなのかもしれないけれど、東京の街は徒歩で移動することで見え方がちがってくる、というのはわかる。


『機動警察パトレイバー the Movie』で帆場の足跡を追う松井さんとその部下なんかも、歩き回ることで、公共交通機関での移動だけでは見えてこない東京の姿を感じていたのかもしれない、なんて連想も。

 

「休暇とアクシデント」
意想外の、夾雑物を楽しむ感覚。不意に生じたアクシデントが、現代のテクノロジーやサービスが取り払ってしまうものを運んできてくれるのって、たーのしー!!

 

「よそものが作る地域アート」
ここ10年でいい感じに体重が増えていそうな美術評論家の黒瀬陽平さんがキュレーションした「百五〇年の孤独」という地域アートのお話。


地域なる言葉で思い出すのが、本書の著者である東さんも参加した『地域社会圏モデル』という本。


もう手元にないので記憶(容量2メガバイト)を頼むことになるが、たしかある建築学者が、地域と言う言葉を「その土地の祭りに参加する人の住む圏域」なんて定義していたはず。


となると、この世界のありとあらゆる事物は「よそ」にあるわけで、当事者の時代なるものは、広いはずの世界に対する人間の興味や関心の縮減を求める時代なのではないかと思った。
(これは本文の内容に対する感想というより、キーワードで連想して勝手に思ったことだ)。

 

あと、ぼくは美術のことも自分の存在も、なんなのかさえ分からず震えているタイプのオタクなのだが、黒瀬さんが「自分でお金を調達して企画して勝手にやってる」というのも、オタク的でいいと思った。
エロゲー会社のような、もしくはDAICON FILMなんかのやりかただ。

 

「仮想通貨とゲーム」
仮想通貨なんて自分で買う気は、とりあえず今のところないので、他人がサクッと体験して短くまとめてくれているのはありがたい。

 

「制限時間のないトークショー」
著者が経営している(このブログを書いている時点では代表を降りている)ゲンロンカフェのちょっとした、それでいて決定的に重要なふたつの試みのお話。


ゲンロンカフェに初めて行ったのは、たぶん「エヴァQ」批評同人誌をつくるべく、坂上秋成が著者(あずまん)にインタビューをするイベントだ。
それ以来、年に2~3回程度は五反田に遊びに行っている。


毎度、五反田駅の改札を抜ける度に、

 

「駅のこっち側に行けばゲンロンカフェで脳みそを知的に刺激してくれるけど、駅のあちら側に行けば怒張した男根をエロティックに刺激してくれる系のお店があるし、どっちだ……どっちにしよう……どっち、どっち、どっちだ、どっちにすれば……う~~~~~~~~~~~ファミチキくださいっ!」

 

と悩んだ末にファミチキ代を支払った結果、男性器愛撫料金の支払いにわずかに足りなくなり、ゲンロンカフェへと移動する。
そんな感じで楽しませていただいています。

 

そして制限時間の話。
ゲンロンカフェでいちど挟まれる休憩。


この休憩まで話を聞いて「プロローグが終わった」って感じる。
けっきょく用意してきたことをプレゼンしている段階ではあまり対話の意味ってなくって、対談相手も聴衆みたいになっている。


ひとしきりプレゼンし終わってから、意外なところがつながることで初めて話が弾んでいくという瞬間を何度も目にした気がする。

 

「リゾートと安楽」
海外のカリブ海クルーズの話。


もしかしたら旅行を趣味とする人や、旅行の手引きを読むのが好きな人には常識なのかもしれないが、行かなきゃわからない系のことが書かれている。


といっても、行ってみたら、かちかち山の泥舟を流用したものに乗せられたとか、アララト山にあるはずのノアの方舟の完コピの船だった、といった話ではない。


また、本稿では、海外の進んだ(?)旅行サービスへの驚きが、日本について考える契機ともなっている。


比較対象があってはじめて物事はわかってくる。
日本を素晴らしいと思っている人ほど、むしろ積極的に海外へ出ていくことが重要だと思った。

 

「選択肢は無限である」
娘さんのお受験の話。


人間のおかれている条件や心境は常に暫定的なものだ、ということは、ある程度の年齢になれば経験的によくわかる。


ぼくもエヴァンゲリオン劇場版シト新生のレイとアスカのテレカ付き前売り券を買い逃したリアル中学生時代には、劇場窓口からの帰り道、いっしょに行った友達と口を利く気力もなかった。


世界が終わったと思った。これが「終わる世界」かと。
しかし、そんな気持ちもエヴァブームの終わりとともにどこかへ消え去った。

 

いまでも大人気声優ユニットのライブチケットの抽選に落ちた際は、

 

「え、俺がワルキューレ見れないなんておかしいでしょ……ねぇ、おかしいでしょ……」

 

という、声優ライブに行けないルートが確定してしまったことに気落ちすることがある。

 

であるものの、ショックのいっぽうで「どうせ喉元過ぎれば熱さ忘れるだろうな」なんて思うし、チケット資金をべつのことに使おうなんて考えることができる。

 

「ペットと家族」
これ読んでいて、「犬と人形で『イノセンス』を作った押井守ってやっぱすごくね?」って思った。

 

「アマゾンとコンビニ」
狭い部屋にごちゃごちゃとモノを置いている身としては気持ちが大変よくわかる。
整理整頓してもいいんだけど、その整理整頓をしやすくするためにも、そもそも余裕あるスペースって必要だしね。


圧倒的共感を呼びそうな文章だと思った。

 

「天才をひとりにしないこと」
かなり天才好きのぼくとしては、天才待望論よりの人間だった。
が、この稿により、自分の視野の狭さを感じた。

 

「震災と無気力」
これもとても理解できる話。

著者の言説を追って10年以上になるが、震災以降はことあるごとに「みんな忘れるの早すぎ」と言っているし、そのたびにぼくも「あっ、やべっ、たしかにアレまだ半年も経ってないのか」となることがしばしば。

 

本稿で

 

「「考えてもしかたがない」こととそうでないことの区別ぐらいは訴えていきたいと思う」

 

と述べているが、一つ前の「天才をひとりにしないこと」で、紹介されているゲンロンの開催する各スクール(批評、SF小説、美術、あと一部の漫画)は、考えるべきこと流してしまうこの社会を批判する力を育てるものでもある、と思う。

 

「アフタートークの功罪」
あずまん(この本を書いた人)のアフタートークを見たことがある。


あれはまだ『Angel Beats!』が放送中だった2010年の5月。


劇団粋雅堂による、CLANNADの二次創作演劇『CAILLINAD』。
そのアフタートークに、ゼロアカ道場を終えたばかりの坂上秋成をともなって登壇した。

 

王子の北とぴあ横の地下にある、違法薬物の売買でもしていてもおかしくないような小さなハコで、ほとんど著者の真上から観覧した。


さすがに何をしゃべっていたのかは記憶にないが、ゆいいつ覚えているのが、坂上秋成に「セカイ系用語辞典」の作成命令が下ったこと。
2019年現在、まだ達成されていない。

 

「哲学者と批評家」
「哲学」と名指されてるものと、その名指しの外側にあるものの区別が、歴史的にごっちゃになってきた、という話。

 

著者が学部生だった90年代初頭と違って、今はネットに情報が多いし、雑誌『現代思想』も新年には「現代思想の総展望」という特集を毎度のように組んでおり、最先端の(?)現代思想に触れやすくなってるとは思う。

 

認めない人も一定数いるかもしれないが、そうした最先端の現代思想の情報に触れたい読者を増やしたり維持してきたのは、ある程度は著者のここ10~15年くらいの仕事の成果だと思う。

 

ところで、ぼくの大雑把なイメージでは、「批評家」なるものは、自己を批評してしまい、手持ちの人格カードを出し分けたりできる存在だと思ってる。

ただの「哲学者」よりも「哲学者・批評家」という肩書きで紹介される人物のほうが、面倒な人生を送らざるを得ないような気がする。

 

「水俣病と博物館」
これもカリブ海クルーズとおなじで、行ってはじめて気がつくシリーズ。


水俣病資料館と、水俣病の被害者を支援する組織である水俣病センター相思社が運営する水俣病歴史考証館、そのふたつに訪れたときの話。


とくに後者が印象的で、職員の言葉に「胸を衝かれた」とのこと。
これもやはり現地に行った人ならではの感想だ。


情報は確かに伝達できる。
が、職員の表情や語り口を直に受け止めるというのはまったく情報量が違う。さらにいえば、そこにいるほかの職員の姿だって目に入っているだろう。
五感を駆使することで、来歴への洞察や、心の感度が違ってくると思った。

 

「匿名と責任と年齢」
鈴木敏夫のもとで働いたりしてたあの人のことだ!
ぼくも35歳をこえてしまったので、もう見た目とかも「あれ、こんなだっけ、俺……?」と思う瞬間もあり、こういうの読んでいてつらい。

 

「育児と反復可能性」
これはなかなか、こう、オタク的に胸に来るものがあった。


著者には娘がひとりしかいない。娘の周囲を流れていくすべての時が、ただ一度のものでしかなく、それをどんどんと消費していってしまう。そのことに喜びと辛さがある。
が、娘に妹がいたら、もっと家族が多かったら、下の子たちで経験を反復できるのではないだろうか、というお話。

 

かつて、まだエロいパソコンゲームの主戦場がPC-98であり、メディアもフロッピーディスクで、MS-DOSを動かしていた時代。
エルフという有力なエロゲー会社が『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』という歴史的神ゲーを出した。


ぼくはセガサターンでこのゲームと出会い、2000年ごろには、まだかろうじて秋葉原でPC-98ソフトをあつかっていたため、そちらもプレイした。そんな信者的なファンだった。


そのYU-NOが、時を経てリメイクが発表されたときに、違和感を感じた。
おなじ名前で、おそらくほぼおなじ物語で、おなじ役割をし、大部分のテキストは剣乃ゆきひろ神のものを流用するだろう。


しかし、キャラクターデザインと声がべつのものになっていたのだ。
そのとき以来、セーレス(物語の後半に主人公と結婚する、言葉をしゃべらない異世界の少女)を、おなじセーレスとして愛することができるのか、ずっと考えている。

 

「演技とアンドロイド」
ただの娯楽よりも、批評性を見出せる娯楽のほうを好む著者の趣味があらわれているが、もうけっこういい年なのに、ふだんあまりやることのないゲームという媒体にもちゃんとセンサーが働くところがエライと思った。

 

「連休のヘイトタクシー」
以前、喫茶店で中国人女性と働いていたことがある。
そのとき店を訪れた男性客ふたりが、ほとんどレジの目の前の席で、周囲をはばからずに中国人に対する攻撃的な言葉を話し始めた。聞き耳をたてたくなかったしだいぶ前の話なので会話の細部は記憶していないが、背後にネットの情報や空気をどことなく感じた。


あのときは、ほんとうに申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいだったが、かといって何をするわけにもいかず、ただ時間が過ぎることを祈った。
そんなことを思い出した。

 

「ソクラテスとポピュリズム」
初めてソクラテス(というかプラトン)を手にとったのは、2002年。
藤崎竜が少年ジャンプで『サクラテツ対話篇』の連載が始まったのがきっかけだった。


「対話篇」とかいう見慣れない言葉をWindows98マシンで検索し、「なるほど、サクラテツはソクラテス、対談や座談会形式の哲学書が対話篇なのか」と、手打ちHTMLで作成されてそうなWebサイトで知った。


岩波文庫で『饗宴』を読んだ感想は、「シャーロック・ホームズや御手洗潔のような奇矯な名探偵が出てくる本みたいだ」というもので、キャラクター小説的に読んだ記憶がある。

 

ぼくたちの生きる時代は、情報技術の急速な発展と普及という人類史的な転換点に位置していることは間違いないだろう。
だが、2400年前のソクラテス(プラトン)の言行を現代的にとらえかえすことができるくらいには、(もちろん偉大な哲学者の偉大な洞察があるにせよ)人類は変わっていないのだろうと思う。

 

2400年というのはそうとうな時間だと思う。父や母、その父や母、またその両親、さらなる両親……と、何世代が「中出しぃぃぃっ!!! からのー……ちゃくっしょぉおおおおおう!!!(着床)」を重ねてきて経過した時間だろうか。


長い時間を重ねても人間というのはそうそう変わらないようだ。
ネットを見ていると頭良さげな人たちが「人類をアップデート」とか言っているが、ちょっと舐めている感が否めない。

 

が、同時に思う。2400年というのは長い時間なのか、と。
たとえば300世紀くらいに人類史をふりかえれば、また違ったとらえかたになるのかもしれないだろう、と。
地球人という1サンプルだけで、長い短いなんて、なぜ言えるんだろう、と。

 

まぁ、長いって言ったのはぼくですが……。

 

ハビタブルゾーンに位置する系外惑星の、地球の最寄のところだって、とんでもなく遠い距離にあるうえ、生命が存在して、しかも知性をもっていて、文明を築いているかどうかもわかりゃしない。なかなか1サンプルであるという条件が変わりそうにない。


『太陽の簒奪者』や『楽園の泉』のように、向こうが勝手に接近してきて、ついでに情報とかくれて去っていくのならありがたいのだけれど。

 

「ハラスメントと社会の変化」
ぼくの感覚だと、ハラスメントは今後も下の世代に引き継がれていくのではないか、という気がしている。
3歩進んだ人たちが現れる一方で、相対的に2歩戻ったかのような態度をとる人たちが、まだまだ残存するのではないのか、と。

 

「美術とマネーゲーム」
美術自体は好きだが、作品外部のことにはあまり関心がない。


作家の人生や、たとえば作品のタイトル、現実に存在する風景ならいつ時代のどこか、といったメタデータは知りたい。


だが、いくらでどこで売り買いされようとも、そしてそれがこの世界の様々な反映だろうと、あまり気に留める脳みそを持っていないのがぼくだ。


なのでこの話は、ぼくの脳がいまひとつ受けつけない話ではある。
ただ、ちょっと関連して思ったのは、美術とサッカーが似ているという、ゲンロンカフェのトークイベント内で著者が語った話。


サッカーのほうは、マネーゲームで扱う対象が生身身体を持った選手や万単位のサポーターの声が直にスタジアム内に響き渡るクラブチームであるがゆえに、広い意味での美術品と比べて、最終的には抑制がきくのではないか、ということ。

 

「歴史とアイデンティティ」
この文章には素直に感動した。文章の指摘も鋭いし、ポップカルチャーの批評をしていた経験ものぞかせつつ、観光の力も訴えていて、批評家としての能力にただただ感服。
とりあえず、本稿で取り上げられた映画『タクシー運転手』は見ておかないと、と思った。

 

「チェルノブイリと観光客」
ゲンロンが「観光客(の目線)」というものを打ち出し始めたのが、チェルノブイリを訪れたあたりからだったと思う。
観光客だからこそ、ある種他人事だからこそ、矛盾した姿をそのまま受け止めて考えることができる。


これは人間の観測行為の問題に一工夫くわえるという話だ。


であると同時に、「もっと広く好奇心を持てよ」という、好奇心が縮減していく世の中へのメッセージなのかもしれない、と思った。


この世の事物事象はほとんど他人事であり、当事者として接する物事なんてほとんどない。
となると、観光客的に接しなければ(それで良いと思って踏み越えなければ)、人はほとんど何も知らないままの生を閉じていくことになる。

 

「事実と価値」
批評の面白さがわからなくなっている、もしくは、わかる人が育ちにくい世の中だという話だと思った。
雑誌『ゲンロン』でもスクールでも、それがわかる人を育てようとしているのかな、とも。

 

「困難と面倒」
人間個々人にとって本当に大切な存在はあまり多くなく、獲得するのも困難だという話だと思った。

 

「いわゆる「議論」で相手が変わると考えているひとは、人間の本質について無知である。」という一文は、先日ゲンロンカフェで行われたイベント中に著者と哲学者千葉雅也が議論をしながらも、最終的に互いの立場が変化することはなかったことを思い出す。


ⅱ2008-2010

「なんとなく、考える1 全体性について(1)」
若いっ!?


さっきまでアラフィフの人の文章を読んでいたので、めっちゃ若くなっててビビった。なんか肌年齢とかも若返っていることが伝わってくる。


カギカッコとか多い気がする。
新聞と文芸誌という媒体の違いもあるのだろうけれど。
言葉の選択もなつかしい……。

 

「なんとなく、考える2 全体性について(2)」
なにかこう……2018年の文章を読んだあとだと、かなり自分の言葉の力に自信を持っているように感じる文章です。

 

とはいえ、さすがの洞察力というか、たとえば小説と批評へのつっこみの話は、いまのツイッターで日常的に目にする光景そのものを言い当てているように思えます。

 

「なんとなく、考える3 公共性について(1)」
斉藤純一が本に整理しているような従来の公共を、台頭してきたネットサービスが複雑なものにしてしまったあのころ。


当時はまだガラケーだったが、すっかりスマホも普及し、グーグルのサービスどころか、グーグルの開発したOSを常時手元において生活するようになった現代。


ここで説明されているような公共性への認識の違いがかつて存在したこともすら意識しなくなっている自分がいることに気がつきました。

 

大塚英志側の現状認識がどうなっているのか、2019年現在、知りたいところ。

 

「なんとなく、考える4 公共性について(2)」
ありましたよねぇ、キャラクラシーとか。と、遠い目をしてしまいました。

 

「なんとなく、考える5 全体性について(3)」
なつかしの、早稲田文学の10時間シンポジウムのお話。


このころにはゼロアカ道場も並行して走っていて、ゼロアカ生もちょっとだけ登壇していたはず。


「氏ね」という言葉遣いにも時代を感じる。


文学(文学的想像力)の全体性の話って、ぼくがあまり文学全体への熱意を持っていないタイプなせいか、震災以降はほとんど意識することなく今日まできてしまった。
今こうした問題は、どこのだれが考えているのだろうか。坂上秋成だろうか。

 

「なんとなく、考える6 現実感について」
千葉県の房総半島(日本地図を横から見たダックスフントだとすると、前足に相当する半島)にある「シェイクスピア・カントリー・パーク」と、ネットスターの企画でCLANNADの聖地であり、著者の母校でもある筑波大学附属駒場高校を巡礼をする企画から、シミュラークル(もはや懐かしい用語)にアウラ(懐かしい!)が発生すること、についてのお話。

 

これを読みながら、ぼくはJリーグのことを思っていた。


93年にスタートしたJリーグの各クラブチームたちは、(前身となるチームが存在したとはいえ)欧州などのサッカー文化のある国を真似て、応援スタイルを人工的に作り上げていった。
それが四半世紀を経て、上はおそらく60代から下は3~4歳くらいまで、ホームスタジアムに集っている。


「なんとなく、考える7 娯楽性について(1)」
この回は、朝日カルチャーセンターで行われた「批評の書き方」でとりあげられた回であり、執筆過程の説明を聞いた覚えがある。

www.radiodays.jp


「なんとなく、考える8 娯楽性について(2)」
『セカイからもっと近くに』の押井守論を書いていた時期の原稿。
『立喰師列伝』は原作小説も読んで、初日舞台挨拶まで行った(はず)。

 

「なんとなく、考える9 ルソーについて(1)」
ついに『一般意志2.0』篇に到達したー!
当時ぼくが書いていたやる夫スレ『ドラゴンクエスト精霊ばらしー伝説』『続ばらしー伝説 やる夫のドラゴンクエストⅢ そして伝説へ・・・』のまとめサイトであるやる夫之書の管理人が東工大の生徒であったため、じつは授業で行われた内容をチラ見させてもらっていた。

 

(有料だった気もするけど)、ゲットし損ねたことも多く、『一般意志2.0』の発売を心待ちにしていた記憶がある。

 

ウェブ学会やら、isedの書籍化(Web掲載のものが書籍になるなんて、昨今のなろう小説のようだ)なんてあって、まだ夢に向かってまい進する予感もあった時期だなぁ、と。

 

また、水村美苗の著作が出てきて、「あっ、当時、状況認識の違いを確認するために何度か言及の対象になってたなぁ」なんて、懐かしい気持ちにも。

 

「なんとなく、考える10 ルソーについて(2)」
ちょうど伊藤計劃氏が亡くなったころの原稿。


伊藤計劃に関しては、「読まなきゃ」という気持ちを抱えたまま、いまだに1冊も読んでいない。
最初に登場したころには気になっていたが、「伊藤計劃以後」みたいな売り出し方をされた結果、手にとりにくくなってしまっていた。


最近、『レトリカ4』という批評同人誌に、あの麻枝龍の「内宇宙」が「セカイ」と出逢う――私の「ゼロ年代」なる論考が掲載された。

rmaeda.hatenablog.com

直に話を聞いたら「論文を書くために、伊藤計劃を読んだ」と、俺のおごりのサラダかなんかを食いながら話すのを聞き「あ、やば。読んでねぇわ、俺」と思った。


しかし、今。本稿を読んだのを契機として、まずは書店でゲットくらいしておくべきなんではないか、と感じている。

 

「なんとなく、考える11 ルソーについて(3)」
おおお……。


哲学書の読みの方法や、これから書く哲学書のアイディアを、二次元美少女へと変換して表現する人、初めて見た……。

 

冒頭の宮台真司とのアメリカ講演が収録されてるのは『思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ』だし、佐々木俊尚さんや、個人的にかなり好きだった濱野智史さんの名前も登場するし、ITや理系、それと人文知の読者をなんとか繋ごうとしていたころだなぁ、と。

 

あと、このへんを読んでいると、『一般意志2.0』『ゲーム的リアリズムの誕生』に続く、動ポモ3にあたることがわかる。

 

「なんとなく、考える12 アシモフについて」
先月行われた、三宅陽一郎 × ドミニク・チェン × 東浩紀「人工知能のための哲学塾 at ゲンロンカフェ」のイベント内でも話題になった、アイザック・アシモフ『はだかの太陽』。

 

これまた読んでないんスよねぇ……。


この本(『ゆるく考える』のこと)を読んでいると、「ゆるく」なんてタイトルに反して、自分の未読っぷりに落ち込む。


「このリストに書かれた本を今年中に全部読まないと、両乳首をニッパーでパチンッパチンッと切り落とすぞ」と、斬乳首刑の執行人に脅されれば、爆速で読んでいくのだが……。

 

アシモフの話がふたたびルソーにつながっていくが、そこで著者が

 

歴史の終わりのあとに現れる「ひきこもりの国」をどのように管理すればよいのか、そしてひとはそこでどのように生きればよいのか、それはこの半世紀のあいだ、世界中で思想的に問われ、また大衆的な想像力においても頻繁に表現されてきた問題でした。

 

と述べているが、まだ実現の前段階で、本当に実現されるのかよくわからないものの、いちおう投票上は決定された(延期されたけど)「ブレグジット」。


ブレグジットがひきこもりの国の問題とただちに言ってよいものか判断しかねるが、その観点から眺めてみたいと思った。

 

「なんとなく、考える13 書くことについて」
「書きながら考えることの楽しさ」を小説執筆でひさしぶりに感じたというあずまん。

しかしこのあと彼は会社経営へと突入していくこととなり、新作小説の連載も長大な中断をはさむこととなった。

 

書き手としてその後も何冊か本を出し、なかには『ゲンロン0』のような重要な本もあるものの、やはり経営者という重圧を他方で抱え続けていたと思う。

 

彼の一ファンとしては経営の重圧から解き放たれつつあるいま、また書き手としての原点の楽しみを味わって欲しいと願わずにはいられない。

 

「なんとなく、考える14 動物化について(1)」
まだ動物的公共性なるものに希望を見ていた時代だった。

 

宇野常寛といっしょに仮面ライダーの同人誌を作っていたのもなつかしい話。

ぼくも平成ライダーのいっき見をしてヘトヘトになった時期を思い出す。

 

「なんとなく、考える15 書くことについて(2)」
『クォンタム・ファミリーズ』の単行本化修正を孤独に行っているときの心境、初めて読んだ。
ふと思ったけど、「AZM48 the movie ビギンズナイト」のラストシーンで、入江哲郎がいう「東さんの引き受けていた二重性」ってもしかして、この時期のこと?w

 

「なんとなく、考える16 仕切り直し」
あ、タイトルが規則壊してきた!

 

そして吹っ切れた、といって、よい文章で批評文が成立しない状況認識を引き受ける決意をし、あらたな言葉で再整理をしている。

 

『ゼロ年代の想像力』の言葉でいえば、サヴァイブ感のなかでの決断主義、というか。仮面ライダーディケイドのコンプリートフォームが呼び出す龍騎サバイブというか。

 

「なんとなく、考える17 「朝生」について」
この放送の直前、あずまんブログからツイッターへの誘導が行われ、ぼくもツイッターを開始した。

 

朝生放送後の、QFと思想地図4号と、ついでにいうならネットスターのイベントなんかも控えた一連の祭りは、まだ20代半ばだったぼくとしてもすごく楽しくて、未来に期待をふくらませた。

 

あらためてこの件について読むと、番組中でベーシックインカムの話が出ていたそうな。


その後、10年。どこかで誰かがいまも議論をしているのかもしれないが、もはや目にする機会のなくなった言葉だな、と。

 

「なんとなく、考える18 ツイッターについて」
この連載でも、少し前まではmixiとかいっていたのに、ツイッター時代に突入した。

 

初期のシンプルなツイッターは好きだった。タイムラインの持つ虚構感が。

 

津田っちのtsudaりを読んで「あ、これからはこの実況スタイルが基本なのか」なんて思った記憶もあり。

 

アージュの吉宗鋼紀さんと著者がつながり、ラジオ出演やイベント出演、『マブラヴ・オルタネイティヴ』の漫画版解説のコンボが決まったのも、この頃のツイッターのおかげか。

 

本稿のなかで触れられている民主主義2.0イベントとは秋葉原で行われたネットスターのイベントだが、待ち時間に周囲の人々を眺めたら、みんな福嶋亮大『神話が考える』を手に持っていたことを記憶している。

 

また、ネットスターイベント終了後に、打ち上げとして番組プロデューサーと著者が飲んでいる最中に開始したのが、いわゆる「飲み会ust」。

 

のちにこの界隈の名物となるアボカドウ氏が初めて突撃したのも、おそらくこの日だったはず。

 

本稿で、著者は2010年代を「ゆるさ」の時代になるかもしれない、と予言めいたことを記している。

 

これはそのとおりになったと思う。しかし、著者の期待とは違った形、どんな社会的に重要な事件や問題でも1、2ヶ月もすれば忘れてしまう、そんなヤバい「ゆるさ」として。

 

「なんとなく、考える19 第二作について」
『クォンタム・ファミリーズ』に続く、『クリュセの魚』のお話。

『クリュセの魚』は文庫化したとき、大学1年生の超絶美少女に買って差し上げた。

 
「なんとなく、考える20 固有名について」
東大駒場でおこなわれたイベント「『クォンタム・ファミリーズ』から『存在論的、郵便的』へ──東浩紀の11年間と哲学」、これは行った。


はやく行き過ぎたので、待ち時間に山森亮『ベーシック・インカム入門』を読みながら待った。時代を感じる。

 

イベントの客席側に小林康夫氏もいて、登壇している著者に質問を投げかけるときに「質問」でなく「つぶやき」と言ったのを聞いて、「おぉ……ツイッター時代に対応してる」と思った記憶がある。

 

この日の懇親会で國分弘一郎氏が昭和ライダーの話をし始めたことをきっかけに、著者が宇野常寛とつなげたはず。

 

 

 
ⅲ 2010-2018

「現実はなぜひとつなのだろう」
三島賞受賞後、國分×千葉とのイベント文字起こしとともに、新潮45に収録された文章。

 

ところで、著者の娘さんである東汐音さん。


ほんのり二次創作の対象ともなっているようで、NHKの「ザ☆ネットスター!」のプロデューサーが作ったノベルゲームのヒロインになったり、吾妻汐音としてPSP版「11eyes -罪と罰と贖いの少女-」にも登場したりしている。はず。ぼくの記憶が確かなら。


「大島弓子との三つの出会い」
このテキストは、なぜ生まれたのだろうか。


著者にこれを依頼できる(つまり大島弓子読者であるということを知っている)人は限られているというか、そうとうなストーカー的読者だと思う。すくなくともぼくは知らなかった。

 

ぼくが著者と同様に、好きな著名人の痕跡や住居がある場所に行った経験。


それは京都市北区大将軍にある、みうらじゅんの生家跡地を訪れたことくらい。
みうらじゅんが童貞だった高校時代から、漫画家やイラストレーターとしてデビューし、イカ天にバンドで出演するまでの間に作られた400曲近い曲をすべて、くりかえし聞いたぼくは、70年代の彼が行動し、トークのなかに出てきた駅や踏み切りを直に眺めて、大変満足した。

 

「少数派として生きること」
夏目漱石『こころ』についての文章。もしかして漱石について書くのは、90年代以来ではないのだろうか。


ぼくは文学部時代のゼミで、まさに『こころ』を読んでいた。
そのころから序盤の海水浴シーンが妙に性的なこだわりをもって書かれているように感じていた。

 

「日記 二〇一一年」
パラリリカル・ネイションズ』……もう10周年が近づいてきている。

 

この作品の構想を最初に知ったのは、『はじめてのあずまん(はじあず)』という同人誌の聖地巡礼中にとつじょ行われた東浩紀インタビューの最中だった。べつにはじあずのメンバーではなかったが、ustreamでインタビューは中継された。なにもかもustで垂れ流された時代だ。


NHKでの取材にさきがけて、このインタビュー中に梅原猛の名前が挙がり、すぐに数冊読んだ記憶がある。

 

「ほか特記事項なし。」という一文に、新世紀エヴァンゲリオンの第四話「雨、逃げ出した後」劇中でミサトの日誌風ナレーションを想起するが、そのつもりで書いてるのかどうか不明。『郵便的不安たち』に収録されている90年代後半の文章だったら確定的なのに。

 

「福島第一原発「観光」記」
この計画、現在どうなっているのかしらないが、続報がなくなってひさしいということは、頓挫してひさしいのだろう。

 

いつのことだったか忘れてが、おそらく2015年あたりのFIFAクラブワールドカップにて、南米王者のリーベル・プレートのインチャ(ファンのこと)が多数来日した際に、原爆ドームを見学に行っていた。

 

試合会場は大阪と横浜であったのにも関わらずわざわざ足を伸ばしたわけだ。京都や秋葉原に行くのでもなく。

その話を知ったときに「福島も観光地化されればおなじように外国人が訪れるかもしれないな」と思った。

 

けっきょく『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』『福島第一原発観光地化計画』の二冊が世に出ても、世の中は大きく動いてはいない。

 

だが、この二冊は長い目で見れば、ふたたび脚光を浴びる日が来るのではないか、と思う。

 

この国では今後も何度も震災が起こる可能性は非常に高いし、世界のどこかで原発事故だって起きるかもしれない。

 

ぼくが小松左京の『大震災'95』の存在を知ったのは、フクイチ本が出版された前後だった。


「震災は無数のコロを生み出した」
二上英朗さんはすごく印象的な人だった。


原町無線塔のイベントで拝見したが、行動力の強烈さには勇気付けられるし、「お、俺もがんばろう」と思わせる人物だった。

 

にしても、2008年編を読み終えた後にこの文章を読んで思ったことだが、SNS使いはじめのころと普及した現在での、人と人とのつながり方について、著者はずっと考えてきたのではないだろうか。

 

「日記 二〇一七年」
『ゲンロン0 観光客の哲学』を執筆していたころの日記。
日々の生活の中で執筆をして、人と会って(その人の名が登場して)、飲酒して、また書いてるところが読めるのはけっこううれしい。


むかしあかほりさとるも『爆れつハンター』かなんかの後書きでやってたし、次巻の後書きでその日記形式で執筆の裏側を見せたら好評をいただいた、と言ってた。

 

「悪と記念碑の問題」
虐殺の記念碑をおとずれた報告はゲンロンカフェで見た。
本稿で語られている著者の問題意識は、著者を経由してぼくも関心をもっているが、いまだにコメントできるほど、この問題に対峙していない。

 

ただこの本の、10年前の連載分である「なんとなく、考える14 動物化について(1)」でもアウシュヴィッツや消費社会の話をしていて、ほんとうに一貫して関心をもっていることがよくわかる。

 

「ゲンロンと祖父」
なんか、こう、グっとくる文章だった。

 

ぼくは祖父にまつわる記憶を、母方の方しかもっていない。

父方の祖父は、ぼくが3歳くらいのころに祖母以外の女性をつくってどこかに消えたらしい(よく知らないけど)。

 

中学生のころまでは毎年夏と冬に家族4人で母の実家である長野の小諸に行っていた。

高校に入ったころには父と母の間には会話がなくなり、ぼくと弟との間にも会話がなくなり、一家は家庭内別居状態となった。
そうなれば家族で母の実家に行くこともなくなり、小諸から足が遠のいた。

 

再会は大学2年生のとき。

祖父が東京の病院に入院することになったときだ。

 

もう死が近かった。じっさい、ここから2週間程度で亡くなっ

た。

 

死が近いにもかかわらず、ぼくはお使いを頼まれた。

 

鎌倉時代の紀行文である『東関紀行』とトルストイの『光あるうちに光の中を歩め』。

 

そして、夏休みに祖父は亡くなり、小諸での葬儀が終わり。

酒が飲める年齢になっていたぼくは、8人兄妹の四男である叔父と居間で焼酎の水割りを飲んだ。

 

その席で、祖父の読書好きを受け継いでいる唯一の人間がぼくだ、と言われた。

 

たしかに親戚を見渡しても、読書をする人間はいなかった。というより、およそ「知」と無縁の一族だった。

 

葬儀が終わると、また小諸との縁が切れ、あれ以来近づいていない。

 

ただ、祖父のことをふと思い出すたびに、今になって思う。

 

死ぬ直前、ほんとうに弱りきっている時ですら、ただの気を紛らわす道具でなんでもよしとしての読書でなく、タイトルをはっきりと指定してきた、あの知的な意思。

 

あれを途切れさせないためにも、いちおうぼくもちゃんと本を読み続けたい、と。


「あとがき」
高校時代、後追いでファンになったスモールルームフィロソフィ哉こと小室哲哉が『夏への扉』を薦めていたので買って読んだ。


2001年頃の2ちゃんねるに存在した剣乃ゆきひろスレで、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』に似た作品として挙がっていた『果しなき流れの果に』を目にした瞬間、即座に買いに走った。

 

その後から現在に至るまでに読み、鑑賞したSF作品群のなかで、東浩紀の小説は最も好みの作品のひとつだった。


趣味の一致度からして、俺が好みでないわけないのだ。

 

というわけで、待ってます。新作SF小説。


最後にちょっと思ったこと

これは東浩紀の批評本を読んでいるときにしばしば感じることだが、SF小説を読んでる感覚に近い。


日本経済新聞での連載分が終わり、「なんとなく、考える」編に突入し、文体や主張が10年前のものになることで、そう感じた。


別の並行世界で受け取ったかもしれない過去からの手紙が、なんらかのエラーや奇跡でとどいてしまっているかのような。

 

東浩紀の批評を読んでSF小説みを勝手に読み取ってしまい、しかもなかば自動的に小松左京で近いものを探してしまう奇病に罹っているぼくとしては、妄想に妄想、連想に連想を重ねると、本全体が『虚無回廊』の人工実存のように見えた。

 

こんな妄想を抱いたのも、本書が時系列順に構成されておらず、10年前の「なんとなく、考える」が真ん中に配されていることによる。

 

このような構成をとっているのは、むろん彼自身が書いた批評をメタ的に自己批評しているからだ。

 

文章を書いて批評する。そこには書き手である著者の固有名が刻印されている。

 

しかし、固有名が刻印されていても、それは人工的な他者としての自分を生産していることになるだろう。

これが、ぼくには人工実存の生産のように見えた。

 

また、『虚無回廊』の序章は「死を越える旅」と題されている。


著者の東浩紀はまだ存命だが、さしあたって「なんとなく、考える」が「時を越える旅」をしてきたのは間違いない。

 

ちなみにこうした情報が時を越える性質についての記述も『虚無回廊』中には存在する。

 

ただ――まだ私の手もとに残る大容量の装置をつかって、これから体験する事の記憶と記録は、残しておこうと思う。私のためには当然だが、それ以上に、はるか未来の、もう私が何者であるかわかたなくなったころに、ひょっとしたら出あうかも知れない“他者”のためにも……。

 

この引用自体が、本書全体の構造そのものだし、本書の構造がテキストが死(時間)を越える性質をあらわしている。

 

つまり本書自体が、人類史にとってテキスト(本、情報)とはなにか、を体現している(ソクラテス(プラトン)への参照(「ソクラテスとポピュリズム」)なんかはまさに)。

 

「死を越える旅」、すなわちSSを探検するのはあくまで人工実存であり、ヒデオ・エンドウは1巻で早々に死ぬ。

 

著者もおそらく40~50年後には死ぬ。

 

だが、テキストは死ぬことなく、死を越える旅を続け、いつか未来の書き手によって掘り起こされ、その時代その時代の文脈や問題意識のなかで読まれていくのではないだろうか。

 

ついでに言うなら、著者の妻はほしおさなえという小説家でもある。

 

最近ヒットしている「活版印刷三日月堂シリーズ」の作者だ。

 

つまり夫婦ともにテキスト(人工実存)を生産しているようにとらえることができる。

 

これは『虚無回廊』にて、ヒデオ・エンドウと、アンジェラ・エンドウ(インゲボルグ)が各々で人工実存を生産したことに類似しているように読める(というか、俺の妄想が捗る)。

 

50年以上先の未来の書き手が東浩紀のテキストを読む際に、あわせてほしおさなえの小説を読む可能性はけっこうあるんじゃないだろうか(さらについでを重ねるなら『活版印刷三日月堂』の1巻に収録された1本目の短編は、子供のために名前を刻印したレターセットを制作してあげる、というなかなか東浩紀を連想させる話でもある)。

 

「私の最愛の夫であり父である遠藤秀夫は死にました。でも、その分身である“彼”は……いまも、五・八光年の彼方で――でなければ宇宙のどこかで、生きていると思います。いつかは、私も“彼”を探しに宇宙へ行き、彼とあいたいと思いますわ……」

 

 

ゆるく考える

ゆるく考える

 

 

【感想】内藤秀明『ようこそ!プレミアパブ』

2月の、しかも後半になってしまいました。

 

ほんとうはもっとはやくこのブログを更新したかったのですが、「犬フェス」に現地参加してオタク人生を振りかえってました。

 

節分には「ヒトラーの電動のこぎり」と呼ばれたMG42機関銃で、せいぜい金棒で武装した程度の鬼どもを掃射。血を流してのたうちまわる鬼に追い討ちとして、無数の銃創に節分豆を押し込んで、退治していました。

 

そんな楽しいと惨いに満ちた2月に読んでいたのがこの本。

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『ようこそ!プレミアパブ』ってどんな本?【概略】

本書は表紙に「新世代のイングランドサッカー観戦バイブル」とあります。

つまり、「イングランド」「サッカー」「観戦」をする人たちの本です。

そのイングランドでいちばん最高のリーグ(日本のJリーグにもJ1やJ2、J3があるように、レベルごとに階層化されています)が、「プレミアリーグ」です。

そのプレミアリーグをわざわざ夜遅くまで見る物好きな人たちが日本に(本当は世界各国に)いるのですが、その日本の観戦者たちの話と、現地イングランドでの観戦の手引きを収めたのが本書です。


プレミアパブというWebサイトがある。アレクラスト大陸の南に浮かぶWebサイトだ。【著者紹介】

著者の内藤秀明さん。

 

まだ学生であった2012年にイングランドにわたってコーチングライセンスを取得されたそうです。

 

彼はプレミアリーグに特化したWebサイト「プレミアパブ」の代表を務め、サッカーライターやイベント企画、トークショー出演までこなしています。

premierleaguepub.jp

かつては東本貢司さんや粕谷秀樹さん、場合によってはトニー・クロスビーさんといった方々が担っていたイングリッシュフットボールの新たな紹介者といったところでしょうか。前者たちがアムロやシャアなら、ウッソ・エヴィンくらい新しい世代のお方です。

 

まだまだこれからの活躍が期待される方(といっても、ノートパソコンのキーボードの隙間につまったザラメを除去するくらいしかやることのないぼくと比較すれば、すでに十分活躍しているのですが)。
どのような人物なのかはこれからもっと知られていくのでしょう。

 

個人的な印象だと、外見がちょっと東浩紀さんに似ていると思います。Leo the footballさんの動画とかで斜めから顔を見ると、そこそこ似ていて、『動物化するポストモダン』を書いた頃の彼のように見えることも。

 

人をつなぐ力を持ったプレミアハブ本だね【感想】

世の中的にはどうか知りませんが、ぼくの中では長いこと、イングリッシュフットボールの概説的な書物といえば、東本貢司氏の『イングランド 母なる国のフットボール』でした。

 

イングランド―母なる国のフットボール

イングランド―母なる国のフットボール

 

 

出版前には「この本が第二の『イングランド』になるのかな」と、片思いをする非モテ男のごとく勝手に思っていたのですが、本を開いてみると、だいぶ印象が違いました。

 

というのも、てっきり内藤さんが書きまくる本なのかと、自分の脳みその中でどんどん恋愛が進行していくストーカー男のごとく無根拠に思い込んでいたのですが、対談……というよりも、インタビュー集といったもの。

 

これを引き合いに出しても、10人中0人くらいしか共感してもらえないかもしれませんが、亘崇詞・植田朝日両氏の『BOCA~アルゼンチンの情熱~』に近い印象を受けました。


思い出が蘇りまくるね

序文から、内藤さんによって、クリスティアーノ・ロナウドのスコアラーとしての覚醒や、ユナイテッドがヨーロッパチャンピオンになった夜の思い出が語られます。

 

それだけでもう、

 

あのころは生中継でなく、火曜日あたりにMUTV the matchで試合を見ていたな、とか。

原博実さんが良く解説してたな、とか。

おれまだ童貞だったな、とか。

 

音楽を聴いて発売当時の気持ちが蘇るのとおなじ現象が起こり、なんとも懐かしさにひたれます。

 

カンプ・ノウの奇跡や、ファーガソン監督にとって初めてのヨーロッパタイトルとなったカップウィナーズカップ決勝なんかも、MUTVで見たっけ。そして、タイトルを勝ち取る過去のユナイテッドの姿を見て、

 

「ギャバン隊長ォ! どんな時代でも、ボルジャーノンは大活躍してますぜ!」

 

なんて『∀ガンダム』の黒歴史展開シーンで宇宙世紀時代のザクが活躍している映像に歓喜するエイムズのような気持ちになったっけ。

 

また、他クラブのことは他クラブのファンがよく覚えていて、たとえば2007年のマンチェスター・シティがホームで7ヶ月無得点という話を読むと、

 

あ……なんか、そんなことがあったような記憶が、脳の端っこのほうに薄っすらと書かれているような気がしないでもない……

 

みたいな程度には記憶が蘇ります。


ファンがいっぱいになったから出た本なんだね

この本、先ほども述べた通り、「なるほど、ポスト貢司ではないか……」と思いながら読んでみることになったのですが。

 

読み進めていくうちに「あ、インタビュー集で正解じゃん、これ!!」と知らない人の膝を打つことに。

 

というのも、クラブのことを濃く、また細かく聞くにはファンに聞いてまわるのが一番だと思わせてくれたからです。

 

しかも現地ロンドン在住のサポや、日本に帰国したものの英国に住んだ経験のある人たち。

そうでなくとも、日本でサポーターズクラブ運営をし、観戦会も開催しているような方々。

 

17年前は東本氏がひとりで『イングランド』を書くしかない状況だったのが、だいぶ変わってきたということなのでしょう。


だって17年前なんて精通前、へたすりゃ生まれる前、まだ遺伝子の半分がオヤジの金玉袋の内部にいたくらいの若いサポーターたちもいるでしょうし。

先行する東本氏や粕谷氏たちが散種し、芽吹いた結果、単著というよりも同人誌のような和気藹々とした本が出たんだなぁ、と思いましたとさ。


アーセナルファンマジいっぱいだね

この本を読んで特に強く感じたこと。

それは、

 

「グーナーめっちゃいっぱいいる!」

 

プレミアサポや名物パブ店長へのインタビューもアーセナル率は非常に高いし、本書後半にまとめられている観戦会主催団体とファンの集うお店一覧でも、アーセナルが圧倒的多数を占めています。

 

「え、こんなにユナイテッドが負けるの?」ってくらいに。

 

本には登場しませんが、著名人だと和遥キナ先生なんかもアーセナルサポとして有名で、ラブライブのキャラにヨーロッパのフットボールクラブのユニフォームを着せた絵では、アーセナルが中央に位置しています。

www.pixiv.net

 

まぁ、なんとなくわからないこともありません。

 

Jリーグで監督を務めたヴェンゲルが率いていて、しかも稲本が移籍。
日本人が見るなら、まぁ、アーセナルだろうという条件がまずありました。

 

で、いざチャンネルをあわせると、フットボールかくあるべし、といわんばかりの美しく理想的なパスサッカーが展開されているわけですし。

20年近く前の日本人が見たら、心酔するのも無理はないと思います。

 

しかし、魅了されて当然だというのはわかるのですが、なぜこんなにも突出して多いのか。
ふつうに考えれば、ユナイテッドと伯仲くらいの数であってもおかしくない。いや、むしろそのほうが自然な気すらします。

 

これ、大変興味あるので、内藤さんでなくとも誰か酔狂な学生のかた、どうでしょうか。

社会学をやっている院生かなんかが紀要に書くのにもいいと思うのですが。


インターネットと内藤さんのお節介気質が見事にマッチしてるね

著者の内藤さんは、「プロローグ」と題された本書の序文において、自分が「お節介な性格」をしていると述べています。

 

この序文を要約すると、

 

大阪にいた高校時代と滋賀で暮らした大学時代、周囲にプレミアの話をできる人は少なくって飢えていた。

東京に出てきてから、プレミア仲間と出会えて楽しかった。

かつての自分と同じような飢餓感をもっている人たちのために場を作りたい。

 

といった感じで、なんともまぁ、お節介に起因する理念が述べられています。

 

その「他の人にも自分と同じ幸せを味わってもらいたい」というお節介気質が、もっともあらわれているのが第4章の「渡航前に読みたい現地観戦ガイド」でしょう。

 

ここには実体験をもとにした、本当に日本人が現地観戦しにいくために必要なこと書かれています。

 

余計な情報を盛り込まず、それでいて必要なことは余すことなく全部書く。

 

こうした記述のスタイルに「ぜひ初観戦してほしい。そのために役立てることはやりたい」という情熱のようなものを感じます。

 

この4章の、内容と記述スタイルによって、「あぁ、この人は本当に序文どおりのお節介な人なんだな」と確信しました。

 

そんなお節介な章を立てる彼の性格に力を与え、増幅してくれるのがインターネットです。

 

なにかと東本貢司氏の『イングランド』の名を挙げてきましたが、あの本が出た17年前と現在の違いって、やはりインターネットの普及とサービスの整備だと思うんですよね。

表紙に書かれた「新世代のイングランドサッカー観戦バイブル」って、要はインターネット普及以後の世代ってことなんですよね、きっと。

 

それも90年代と違って、SNSが全盛となり、あらゆる個人が自分のアカウントをもって、個人レベルから(アンオフィシャルな立場から)発信が可能となった時代。
個人の裁量でTLを構成できるようになり、検索ワードで一足飛びに目的の情報に出会うようになった時代。

 

ともすれば、「蛸壺的」とか「好きなものしか目に入らなくなる」という批判も浴びがちなネットですが、内藤さんの「もっと仲間と出会いたいと思っているプレミアサポのために」という気持ちにはベストマッチ。

 

たとえるなら


サイモンとガーファンクルのデュエット
ウッチャンに対するナンチャン
ポプテピピックと電気グルーヴ
高森朝雄の原作に対するちばてつやの「あしたのジョー」

 

といったところでしょうか。

 

ともかく、最適な組み合わせだと思います。


最後にちょっと思ったこと

この本は続編が出るべき本だと思いました。

 

それはまず、

 

シティサポのインタビューが少ないなぁ

 

と感じたからです。

 

この理由、一冊の本に収録できるコンテンツには限界があるのはもちろんのことですが、シティが力をつけたのが比較的最近のことだから、というのも一因ではないでしょうか。

 

きっと、マンチェスター・シティに惹かれて現地に移住し、マンチェスターの街から濃い情報を発信するヤバい日本人はこれから何人も登場する(すでにしてそうな気もしますが)のではないかな、と(ま、島田佳代子さんのように、まだ女子高生だった90年代初頭からシティの虜になり、輸入したビデオを見ていたような、そしてそのまま現地に旅立ったようなヤバイ人も既にいますが)。

 

同様に、近年日本でファンを増やしたであろうレスター。

 

ミラクルレスターを高校生で見て、海外留学を決意する人間だっていてもおかしくありません。

 

それに毎シーズン昇降格もあるわけで。

 

プレミアパブが続くなら、『ようこそ!チャンピオンシップパブ』みたいな、チャンピオンシップ編、場合によってはフットボールリーグ1編くらいまで必要かもしれません(ボルトンサポあたりのために)。

 

イングリッシュフットボールとプレミアパブの歴史が続くうちは、この本も続いていくべきなのではないか、なんて、期待をこめて思いました。

 

ようこそ!プレミアパブ (サンエイムック)

ようこそ!プレミアパブ (サンエイムック)

 

 

【感想】斧名田マニマニ『冒険者ライセンスを剥奪されたおっさんだけど、愛娘ができたのでのんびり人生を謳歌する2』

新年あけましておめでとうございます。

 

初詣にいったり、おとそを呑んだり、おせちを食べたりしてのんびりしてらっしゃるでしょうか。

 

ふだん会わない親戚と一同に会し、和気藹々としている居間からひとり外れて、鏡餅の上からミカンを取り除いてキンタマ袋を乗せてみる。


そんな姿を叔母さんに目撃されていないでしょうか。

 

あぁ……そんな僕みたいな人はいませんか……。


さて、そんな愉快で陽気な新年の初読了が、斧名田マニマニさん『冒険者ライセンスを剥奪されたおっさんだけど、愛娘ができたのでのんびり人生を謳歌する2』
ならびに、唯浦史さん作画・渡辺樹さん構成によるコミカライズ第1巻です。

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得体のしれない作家だったのに……【作者紹介】

ぼくがマニマニさんの作品と出会ったのは、デビュー作である『特別時限少女マミミ』をキモオタ小説の新刊コーナーで見かけたときでした。

帯に書かれた「横槍メンゴ絶賛」の文字列。

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その絶賛っぷりに惹かれ、そのままレジへ。

 

「あ、そのままレジに来ちゃダメだった。買いたい商品を持ってこなきゃいけなかった」と思いなおし、また棚へ。

 

そして商品を持って再びレジへ。

 

バーコードを読み取ってもらってからお財布のジッパーをあけ、

 

提示された金額を払い、

 

おつりを受け取り、

 

おつりを財布にしまい、

 

財布のジッパーをしめ、

 

3日ぶりにズボンのジッパーをしめ、

 

店員さんが「商品です」と渡してきたピチピチと勢いよく跳ね回るマグロを受け取り、

 

隣のレジで会計中だったオッサンに「それ、俺のマグロだよ!」と怒鳴られ、

 

しかる後に本が納められた手提げ袋を持ち帰りました。

 

『特別時限少女マミミ』はすごく個性的な作品でした。その後のマニマニさんがあまり書いていないタイプの作品ですが、個性的度合いでは彼女の世に出した作品でもナンバー1でしょう。

 

「得体のしれない作家」とは、『マミミ』のあとがきでご自分を表現していた言葉でした。

 

たしかに、有名な作家さんたちはすぐ「これの人!」というものがあります。

 

夏目漱石といえば横浜DeNAベイスターズの4番、宮部みゆきといえば「地球は青かった」と名言を残した宇宙飛行士、水野良といえばロードス島戦記……などなど枚挙に暇がありません。

 

得体はしれなかったのですが、その後も、

 

『死んでも死んでも死んでも死んでも好きになると彼女は言った』とその続編。
『異世界でダークエルフ嫁とゆるく営む暗黒大陸開拓記』

 

などをリリースしつつ、「小説家になろう」でも作品を複数連載。

 

本作『冒険者ライセンスを剥奪されたおっさんだけど、愛娘ができたのでのんびり人生を謳歌する』も、「なろう」連載作品のうちのひとつです。

 

また新年のおしらせツイートによると、

 

おなじく「なろう」連載作品『復讐を希う勇者は、闇の力で殲滅無双する』の書籍版も発売するそうです。

いますごくノっている、楽しそうに仕事をしている作家さんだといっていいでしょう。


『冒険者ライセンスを剥奪されたおっさんだけど、愛娘ができたのでのんびり人生を謳歌する』ってどんな作品?【概略】

主人公はダグラス・フォードという冒険者……だったはずのおっさん。御年37歳。
小説は彼の一人称で進行します。

 

物語は数多の冒険者が集う大都会バルザックから始まります。

 

この大都会の冒険者ギルドで、トップランカーの魔術師であるダグラス。
しかも半年前まで勇者のパーティーにも所属していました。

 

そんな川崎フロンターレの中村憲剛的なおっさんだったにもかかわらず、ここのところずっと体の調子も悪く、HPもダダ下がり。クエストも失敗続き。勇者のパーティーもクビ。

すっかりギルドお荷物と化したおっさんはついに冒険者ギルドからライセンスを剥奪されてしまいます。

 

なにかと生活費の高い都会を離れ旅に出るおっさん。
冒険者としてのスキルもろくに使えなくなり、安くてきつい日雇いの仕事をしながら当てもなく流れていく。

 

そんな日々をおくるおっさんに転機となる出会いがおとずれます。

 

それが少女というか幼女というか、10歳に満たないくらいのラビです。

 

ラビとの出会いとなる事件を契機に全盛期の力まで取り戻すおっさん。
なんと、加齢による衰えでなく、呪詛によって力を減じられていたのでした。

 

身寄りのいないラビ。おっさんは彼女をそれでも生活をしていた街へと帰そうとしますが、それもいやがります。
ラビの様子に元いた場所への怯えを見て取ったおっさんは、自分の知り合いのいるバルザックまで送り届け、ラビの面倒を見てくれそうな人を探すことに決めます。

 

こうしておっさんの一人旅に、最高に可愛い少女がくわわったのでした。

 

旅先で目にするすべての新しいラビ。

ラビとともに歩むことで、それまでの冒険者人生になかった新しい視線で世界を見つめなおすおっさん。

ふたりが旅を通じて、いろんな新しいことに出会っていく。

 

そんなお話です、たぶん。

 

Web連載版はもう読んでないので、2巻時点までのことしかわかりませんが。

しかも大事なネタバレはしないようにしていますが、たぶん、こんな感じです。

 

優しい人と優しい人が出会った奇跡と人生の一回性【ネタバレしない程度に感想】

例によって最新ラノベである本作。

 

なので、ネタバレしない程度に感想を書いたり、乾燥ワカメをもっと乾燥させたりしようと思います。


おっさんへの共感とうらやましさと尊敬

ダグラスの年齢に近づいてきている僕。


結婚していなければ、現在進行形の恋人もなく、脳内彼女はいるものの一線を越えていません。

 

そんな僕がおっさんと同じように、読書中ラビを第一に考えている。

なんか父性芽生えちゃってる。

 

人生は1度しかなく、大人が親になるということは(子沢山の人はともかく)初めてのことの連続です。
大人も学びながら手探りで親をやっていかざるを得ません。


それがダグラスを見ているとよくわかるし、2巻に登場した別の親たち(トールキン、ブルーノやアンの親)においても同様です。

 

その「親となっていく」過程にはやはり、「決意」がともないます。

 

四話「おっさんと少女、本当の家族になる」はもちろんのこと、二十八話「おっさんと少女、水着を買いに行く」においても、「あぁ、決意するんだろうな、親になると」と思いました。

 

ふつう男に女の子の水着選びは無理です。いやです。女性用下着売り場に入らなければならない状況のちょい下くらいにはキツイはずです。

 

でもおっさんはけっこう本気で選んでいて、おっさんを尊敬すると同時に、「自分にもラビのような娘がいたらこうなるのかもなぁ」と。

 

冒険者としての経験やスキルを使う能力は豊富でも、子供を中心に世界を見ることが初めてのダグラスの姿は、応援したくもなり、子供がいないなりに共感したり、うらやましかったりします。


旅人の話であるということ

2巻は大きく分ければ3パートくらいに分かれると思いますが、その3パート目である幽霊の話。

 

この話は、旅人であるということがどういうことか、が描かれていると感じました。

 

旅人であるということは、ラビとおっさんがどれだけ優しかろうと、人を助けることには限界があるということ。

すなわちフルミコットが不可能だということです(ついでにいうなら、1巻の娼館(ヴェロニカ)の話も同様です)。

 

幽霊の話のうちの一話である三十七話のサブタイトルが「おっさんと少女、物語がいつも幸福な結末を迎えるとは限らないことを知る」なのですが、これはラビたちの前にあらわれるアンの現状のことであると同時に、幸福な結末を迎えさせるためには立ち去っていく存在には難しいということでもあると思います。

 

この場合アンにフルコミットしている存在は彼女の母親、すなわち家族です。

 

幸福な結末を目指して最後までフルコミットできる存在が家族。

 

ラビとおっさんの親子(家族)と旅人の話であることが、すごく良い設定だと感じたエピソードでした。


その他に思ったこと

この作品でもっとも奇跡のようにすばらしいこと。


それはラビとダグラス、つまり、優しい人と優しい人が出会ったこと、だと思います。


「人は正しいことをしたいという本能がある」的なことを島本和彦先生が漫画の中で書いていましたが(うろ覚え)、優しい人と優しい人がふたりで物事に出会う様を読むことで、とても素直で(一部の緊迫したシーンをのぞいては)穏やかな気持ちで物語を楽しむことができると感じました。

 

また、作者がすごく楽しんで、キャラたちを大切に思って書いているだろう感があります。
「ラビを可愛い/ラビのためにと思って執筆すること」が、一人称を選択しているため「おっさんがラビに対して抱く感情」にダイレクトに変換されている感じといいますか。

 

執筆の姿勢が、作品の魅力を倍加させることに寄与していると思いました。

 

以上が小説版2巻の感想ですが、今回はコミカライズ1巻の発売も同時でした。

というわけで、以下が漫画版を読んでのもの。

 

漫画版1巻の感想。

まずはダグラスさんのかっこいい過去のシーンから始まり、次に小説冒頭のライセンス剥奪シーンへと移るのですが……

 

おっさん、髭汚ねぇ!

 

おっさん基本的にけっこうイケメンなのに、かなり不審者感あるぞ。

 

原作で髭こんなに汚かったっけ……と思ったら剃った。平井堅クラスから石野卓球クラスの髭量へと変化した。ぼくらのおっさんになった。

 

おっさんは基本的に料理できる系男子なんだけど、絵で見ると非常に美味しそう。林檎のせパンとトドロキ豚のスープ。


というか、おっさん、能力高くて見た目もイケメンで、性格はまじめだけどそこがちょっとおかしいところもあり料理も出来るって。


すっげぇ堅実にモテていきそうなスペックじゃないか。アラサー女子は読むべき。

 

食事のシーンの見開き2ページと星空が、「THE・異世界ファンタジー」って感じで大変心躍る。


いわゆる召喚や転生ではないのもあってか、『ルナル・サーガ』や『クリスタニア』を読んでいた中高生時代のトリップ感がよみがえる。

 

印刷から察するに連載版ではカラーページだったっぽいんだけど、それが見れないのが残念といえば残念。

 

ラビ、可愛い。前髪を切って身奇麗なところをダグラスに見せるときの照れ顔が良い。

「自分の見た目を披露することと、そこで働く自意識」に「女」を感じさせる。ちいさくっても「女」だ。


原作のイラストよりもじゃっかん身長が高い気がする。

 

脇役キャラのデザインが良い。
セオじいさんのデザインは「趣のある良い爺マニアの会」で堪能すべき。
マットロック院長の表情変化なんかも「胡散臭い残虐デブ男を愛する淑女の会」で愛でるべき。

 

なによりも、背景の描き方が本当にステキ。


ひとつひとつの建物から、芝生や草のあいだをすーっと地面むき出しの道っているファンタジー感が、「THE・異世界ファンタジー」って感じで大変心躍る。

 

そしてなにより、ラビがたくさん見られる。小説のイラストには出てこないような、漫画ならではのデフォルメ顔も要所要所にあって、それが最高に可愛い。

 

さて、ここまで感想を書いてきたわけですが。

 

乾燥の限界を超えたワカメに触れていたら、逆に僕の体液がワカメに吸われだしたので、乾燥(感想)はここいらにしておこうと思います。


ところで。最後にひとつ、妄想的なことを書いておくと。

ラビって1巻でスキルの潜在能力の高さが明らかになるし、旅のノウハウもおっさんに教わっている(たとえば2巻で差し掛け変形型で湯を沸かす方法を実演してもらったり)。
引っ込み思案で遠慮しがちな性格ながらも、娼館というものについてちゃんと聞いて考えたり、幽霊のような忌避される存在の力になろうとしたりと、内側の芯の強さが垣間見える。

といった点から、このまま成長したらいい冒険者になるような気がしませんか?

「性格の良いリナ=インバース」みたいな少女になりそうな予感がします。

今後の物語がどう進むのか知りませんが、16歳くらいになったラビの物語というのもありえるんじゃないでしょうか。

とか、本編を読みながら勝手に思っていました。

 

冒険者ライセンスを剥奪されたおっさんだけど、愛娘ができたのでのんびり人生を謳歌する2 (GAノベル)

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2018年をふりかえる

 さて、年末です。しかも本気の年末、年内の残り手淫可能回数が3回あるかないかというくらいのガチ年の瀬です。

 

というわけで、今年をバーっと振り返ってみようと思います。

開設して間もないものの、読書ブログらしく、読んだ本なんかを思い出しつつ(親の顔は思い出せないというのに……)。


恐怖が世界を覆う1月

今年の1月は、ぼくの読書生活に一大転機がおとずれました。

 

2001年ごろからメフィスト賞受賞作や、それ以前の新本格ミステリーを読み始めた僕。
基本的には殺人事件を扱ったものしか読んできませんでした。

 

しかし、年明け早々になにを思ったのか、米澤穂信『春期限定いちごタルト事件』を手にとることに。

いわゆる「日常の謎」というやつです。

 

大学で推理小説研究会の読書会で若竹七海『ぼくのミステリな日常』が課題図書になったとき以来、14年ぶりくらいの「日常の謎」です。

 

で、まんまとこれにハマりまして。

『氷菓』から始まる古典部のシリーズにも手を出し、『ビブリア古書堂の事件手帖』なんかもようやく手にとりました。

 

インフォシークを使って「日常の謎」ものの有名作品やおすすめをネット検索したところ、「コージーミステリー」いうジャンル名にいきあたりました。

 

知らない言葉は確認せねばと思い、『川井チャンの「F単」フォースエディション F1中継によくでる用語』で調べたところ。
今田コージー、東野コージー、東本コージー(サッカー解説者)、とあわせて日本四大コージー、とされてるらしい、ということが分かりました。

 

ミステリーは一時期すごく好きだったのにもかかわらず、そんな基礎的な用語を今まで知らずにきたことに驚きました。
しかも「コージーミステリー専門レーベル」なんてものすらあるとか。

 

またこの月は小室哲哉氏の引退も発表されましたね。
高校生時代にはWindows98のシーケンスソフトとSC-88でTMネットワークのコピーをしたりなんかしちゃっていた身として、なつかしの小室曲を聞き返したりしました。

 

ビデオデッキが叛乱を起こす2月

アニメの『ハルチカ~ハルタとチカは青春する~』をいっき見。


「もしかして、「日常の謎」ってジャンルは「世界の美しさに気がつくジャンル」なんじゃないのか?」と思い、いっしょに収監されている相棒にたずねたところ、「そうだ」との返事をいただきました。

 

マクロスデルタの映画版『激情のワルキューレ』を何度も見に行く。
横浜アリーナでおこなわれた3rdライブはけっきょく現地のチケットが入手できず、ライブビューイング勢となりました。

 

また「今年発売になったゴムベラの中で一番いろんなものをこそぎ取ったゴムベラ」を決めるゴムベラ大賞が発表になりましたね。
ぼくが使っているゴムベラじゃなかったのが残念でした。あぁ、来年こそは、推しゴムベラを大賞にしてあげたい。

 

潤子が屁をこく3月

そのむかし、NHKでドラマ化した『六番目の小夜子』
ドラマは青春学園ホラーで、若き日の山田孝之なんかも出演していて、大好きでした。
「ミステリー風味の青春学園小説を読みたい」と思ったので、初めて原作を読んでみたのですが。
これ、中盤の演劇シーンの迫力、神じゃないですか! これがデビュー作だなんて。

 

『リズと青い鳥』公開にそなえて、『響け!ユーフォニアム』を見返し始める。

 

また、駅から我が家までの間にあるすべての建物の壁に「京アニ作品は全部見ろ、神より」って指示が書いてあることを発見。

自称神からの指示に従い、ユーフォのみならずアニメ版『氷菓』も見始める。

 

あとなぜか『宇宙のステルヴィア』をリアルタイム視聴以来ひさびさに全話見直すことに。
ステルヴィアのすっかり忘れていた要素として「ファウンデーションに学生を送り込む理由は、超新星爆発の衝撃の第二波に備える計画だけでなく、太陽系外への人類の進出のためだ」ってのがあって、これとOP曲の「夢を描くのは「人」に生まれたから」って歌詞が合いすぎて震えた。

 

1年ぶりに電気グルーヴのZeppライブ。
帰り道、すっかり酔った僕は大手町駅のたぬきの置物を碇シンジと混同し、渚カヲル口調で話しかけることに。

 

この月、他に読んだ本は、
ラノベ『魔王に世界の半分をもらったけど好きな子がアッチ側にいる件』
ドスケベ純文学『当意即妙のシックスナイン』

などなど。

 

俺の蒙古班がすっかり消えた4月

カテジナ・ツェフっていうチェコの女性SF作家が書いた、ヨーロッパの言語と神を遡行していく『黎明の虹』って作品。
それの古本を1万円でゲットする。

 

非殺人事件もののミステリーへの興味は継続しており、『スパイラル ~推理の絆~』を全巻再読。
実は最後のほうを読んだことがなかったので、結崎ひよのちゃんの正体を初めて知る。

 

この月はリュック・ベッソンの最高傑作だと思う『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』も見に行った。
できればふたたび映画館で見たい。しかし悲しいかな。ドリパスの再上映ランキングではかなり下のほうにある。

織田裕二主演『卒業旅行 ニホンから来ました』と同じくらい傑作だと思うのに……。

 

望月麻衣『わが家は祗園の拝み屋さん』というライトミステリーにも手を出す。
なるほど、こういうイケメンと古都モノが流行ってるのか……俺もこういうの書けば……女性読者にモテて……バレンタインデーに油揚げとかもらえるかもしれない……。

 

この月他に読んだ本。
ラノベ『書けないミステリーのあきらめ方』
異世界ファンタジーと同じくらい、ラノベ作家やイラストレーターや漫画家といったクリエイターものがあるけど、そのひとつのアプローチとして「ラノベ作家が複数登場し、そのうちの誰かが体験をもとにした小説を書いてるという設定だけど誰が書いているのかわからない」って内容の叙述トリックもの。

 

大量のブーメランを買い込んだ5月

あいかわらずワルキューレ推しの僕。
アニュータライブ2018「あにゅパ!!」への出演の報を聞きつけ、ライブ参戦。

読んだ本
ラノベ『リア充たちが生命体として次のステージに上がったので俺むしろ下がる』
ラノベ『陰茎をもいだら断面に謎の文字を発見して草不可避www』

あと、この月といえば、異星人と共同で惑星を調査するハードSF、デニス・デイビッドソン『氷の夢』はガチで理想のSFだった。

 

アナル毛を聖なる焔で浄化してやろうと思い立ち、縁日の射的で掻っ攫ったエロジッポを肛門に近付けた6月

「なんかミステリーそのものへの回帰がしたいなぁ」なんて考え、15年以上ぶりに綾辻行人『十角館の殺人』を再読。
再読する最中、『うみねこのなく頃に』のBGMを流していたら、これが合うこと合うこと。そのマッチングはおそらく必然。

 

調子に乗って法月綸太郎『誰彼』なんかも購入。

 

他には『SSR確定!』ってラノベを読んだ。

 

また、「SF小説について語れる風俗を開店したら儲かるかな?」なんて考えて事業計画を練ってみる。
そのためには社員教育として風俗嬢全員に1万冊のSF小説の読破を義務付ける必要があるだろう、と考えたものの、手元にSF小説が8千冊しかないという事実に気がつき「あ、こりゃダメだ」とあきらめる。

 

ハリルホジッチの解任により、いまひとつW杯に気合が入っていなかったものの、今大会ではNHKのアプリで「戦術カメラ」というのを選択すると天から見下ろしっぱなしにできることを知り、いっきにテンションがあがる。戦術の時代に対応してきたな、と。

 

庵野秀明の影響で『彼氏彼女の事情』のコミックスを買った7月

日本がベルギー代表にやぶれた朝。
ニコ生で日本代表の試合の解説を担当していた作家の中村慎太郎氏がツイートで著書の『サポーターをめぐる冒険』を宣伝していたので、そのままアマゾンでポチり、読む。
この本はほんとうに傑作。年が近くて同じ東京出身のぼくには他人事とは思えなかった。

 

W杯ではイングランド代表がついにPK戦を勝ち進むという歴史的勝利を記録。
しかし当然ながら優勝には至らず。

 

ベルギー戦の日本代表の戦いに感動した東浩紀さんが急遽ゲンロンカフェでサッカーイベントを開催。
東さんがサッカーに関心を示すなんてまさかの展開過ぎたので即チケット購入。

 

中村慎太郎さんへの興味と、もっとサッカーについて勉強したいなぁという思いから、「サッカー本専門読書ブログ」を立ち上げようかなぁなんて考えたものの、サッカーの本だけ読むのもキツいし、けっかとしてこの読書ブログの立ち上げに。

 

ブログの始め方について調べているうちに、古賀史健『20歳の自分に受けさせたい文章講義』の名を見かける。


この本は星海社から出ているのだが、出版当事に批評家の村上裕一氏が褒めていたので、ゼロアカ世代の僕はこれも縁だと思い、読んでみた。


結論からいうと必読書。20歳を過ぎていても読んで損はないし、まだ10代でも読んでおくべきだ。たとえあなたが老衰死寸前であろうとも。もしくは、まだへその緒を切断する前、子宮在住だろうとも。

 

あいかわらずラノベも読んでいる。
『俺のラノベでおまえを殴る!!』という異能バトルものが面白かった。読み終わったあと、弟をラノベで殴ったら反撃された(なので今、右半身が複雑骨折している)。

 

2018年夏アニメでは『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』のOPが気に入る。サビ頭で巨乳エルフのシェラのおっぱいがドアップで揺れる様に大変心奪われた。アニメ自体もおもしろかった。そしてエロかった。

 

ピンク色のキティちゃんのタオルハンカチ階段で落とした8月

角川文庫で復刊している、手塚治虫『火の鳥』を読み始める。

というのも、岡田斗司夫氏がニコ生で「シン・エヴァって、火の鳥未来編みたいなことやろうとしてるんじゃないの」って言ってたので。
そのとき紹介していたコマが、火の鳥の呪いで死ねない存在になった人が孤独を紛らわすために少女のアンドロイドを作っても作っても失敗して、綾波シリーズがごとく、大量の残骸が転がっている、というもの。

エヴァ世代の僕は直感的に「それだよ、オタキング! さすが庵野の結婚式に呼ばれなかっただけある!」と感心した。

 

『冒険者ライセンスを剥奪されたおっさんだけど、愛娘ができたのでのんびり人生を謳歌する』の1巻も発売。
斧名田マニマニさんの本はひととおり読んでるし、書籍化していない小説もWebで読んでいるが、もしかして一番良い作品になるかもしれないぞ、と思った。

 

ひさびさに西が丘サッカー場でサッカー観戦をする。
子供のころからサッカーをテレビで見続けているものの、生で見るのは小学生以来。
それにともなって観戦記をしるすためにnoteを始める。

note.mu

他にも90年代アニソンについて書いたり、過去の文章、未発表の文章なんかも載せた。

note.mu

 

note.mu


しかしいまやnoteは読む専に。

 

ほかには『あなたのキスはいつも苦い』が面白かった。
「苦い」理由を意外性のあるものに設定し、中盤の折り返し点においては素朴な意味で感情的な苦味のあるシーンを入れ「あ、タイトルの「苦い」ってこれか」とミスリード、という優れた構成。
そして「苦い」の真の意味がクライマックスからエピローグにかけてちゃんと理解できるから心置きなくハッピーエンド。
アラサーの恋愛模様が描かれるのも大変素晴らしい。


コンクリートに混ぜる水の量が規定よりも多い9月

「松井恵理子・松嵜麗の声優アニ雑団」が終了。
ふたりとも好きだったけど、とくに麗ちゃまは毎週「結婚して欲しいなぁ……」と思いながら見てた。
麗ちゃまはなんというか、口の横幅が好き。

 

三省堂書店にて『サムライブルーの勝利と敗北』の出版イベント。
著者の五百蔵容さんと、『フットボールネーション』の作者大武ユキさんとの対談。
イベント後のサイン会にて、みんなが五百蔵さんとサッカー話をするなか、なぜか『ダーティペア』の話題をふる僕。

 

豊洲Pitで行われたワルキューレの小規模な限定ライブ「扇情のワルキューレ」にも参加。
マクロスデルタの新作映画が発表され、生きる気力が湧く。

 

上田操さんの可愛さに気がついたのもこの頃。

 

烏龍茶風呂で乳首毛をお手入れしてもらうという極上プレイで睾丸が乾燥するほど射精し夢現のまま崖から落ちて死んだ10月

昔からのやる夫スレ作者仲間であり、ツイッターでは僕のクソリプを律儀に介護してくれていた富士伸太がデビュー。
タイトルは『身代わり令嬢と堅物男爵の剣舞曲~貴族令嬢、 婚約破棄して駆け落ちした姉の後始末に奔走する~』

彼の作品は、読んでいると「こいつモテてるな……? モテてるよな?」と感じることがあるのだが、今作もそう。

看守の目を盗んで脱獄用の穴を掘っていた相棒に向かって「ふれんださんこと富士伸太モテてるよな?」と聞いたところ「おまえも手伝え」とスプーンを投げつけられる。

 

南大沢で『花の詩女 ゴティックメード』を初鑑賞。
漫画のコマの擬音がすべて鳴っているかのような音響に感動。乙女パスタに感動なみに感動。

 

高島雄哉『ランドスケープと夏の定理』は、今年読んだSFではベストの作品。
瀬名秀明さんが帯に「日本SFの歴史を次の五十年に受け渡す傑作」と書いていて、それに惹かれて購入。大正解。
ハードSFなんだけど、作中一番の天才が主人公の姉で、姉好きにもおすすめ。というか、姉好きにおすすめ。


読み終えた後、姉モノ作家のレジェンド竹井10日先生が作った『秋桜の空に』というエロゲーのED曲を聴いた。
それくらい姉SF。

 

湯豆腐をつかったシガーボックスで世界一輪車大会の会場から追い出された11月

『蒼竜の側用人』の広告が都営地下鉄のドアに貼ってあったので見つめていたら、俺と広告の間にいたカップルに怪訝な顔される。前戯中だった可能性あり。
作品自体は気になったので後に購入した。

ゲンロンカフェにて、さやわか × 大井昌和「いまこそ語ろう、士郎正宗!──ニッポンのマンガ #2」というイベントが行われる。
蒙が啓かれたし、ただちにドミニオンを読んだりした。
今年のゲンロンカフェ屈指の神イベントだったので、再放送の際には視聴をおすすめする。


士郎正宗のインタビューが載っている大昔のスタジオボイスまでネットで調べて入手してしまった。

 

『森には森の風が吹く』で、ひさびさに森博嗣の文章に触れる。
森博嗣が好きである、ということの何度目かの再確認。もう何度再確認したことか。

 

古代火星文明時代の遺跡へたどりつけない12月

今期1番好きだった『SSSS.GRIDMAN』
トークショー付き振り返り上映を新宿バルト9で見る。
長年オタクをやってきたにもかかわらず、緑川光を初めて生で見た。

 

このブログ開設。
独自ドメインを取得したが、いまだにエラー続きで移行できていない。このまま移行できなかったらもしかしたらリストカットするかも……心の中で。

 

『花の詩女 ゴティックメード』をふたたび見る。

 

ついにユナイテッドからモウリーニョが去り、レジェンドであるスールシャールが暫定監督として就任。
すべてが良い方向に向かい始める。

 

そして、今日、12月31日。

 

その一瞬、
風が強く吹いたから、
香呂はその時眼を瞑ったのだろう。
桜の花びらは舞ったのだろう。
見下ろせる街。だけど見下ろさず。
甘辛いバイオリン、つつがないプサルテリウム、せちがらいシンセサイザ。
駅から溢れ出す、心と□□□。
キスをする仔猫、仔馬、鼓動。
エントロピィの増大しきった部屋の窓から、模型飛行機を飛ばす。
モータもない。ギアもない。翼は水晶。光は太陽。エスニックなカレー。
「惚れてる? そうでなくてもハートを舐めてくれる?」
指先にナイフで傷を付け、そこから中に入る。
体内を泳いで、心を目指す。
心は向日葵の形。向日葵は彼女の形。彼女は彼の彼女。――恋人。
聖蹟桜ヶ丘通りを、声優が歩く。
あーえーいーうーえーおーあーおー
かーけーきーくーけーこーかーこー
店先には外郎。裏口には西瓜。
あなたは誰?
足を引き摺りながら土手を歩く。
車椅子はエクスタシィ。

小春も夏樹も秋奈も冬子もゆっくりと性交をする。

光はなくても匂いはする。
聞こえなくても性器は濡れる。
遅刻をしても彼は微笑む。

ミステリィを読まなくても、明日があるかもしれな――

【感想】川岸殴魚『編集長殺し4』

さて、年末です。師走です。12月です。

 

12月という月は、ぼくの中で「1年のうち1番人を殺したくなる月」と呼ばれています。

そんな殺意に満ちたディセンバーにふさわしいのがこの小説。

 

川岸殴魚『編集長殺し4』です。

 

編集長殺しシリーズの4巻です。死(4)を象徴する、不吉な巻です。

 

魚を殴っちゃだめだよ。殴るなら釣り人にしておきなよ【作者紹介】

川岸先生のことは前回のブログ記事でもとりあげたので、先生自身の紹介はそちらをご参照ください。

yutaarai1983.hatenablog.com

『編集長殺し』ってどんな小説?【概略】

この記事は4巻を対象にしたものになります。

 

これが古くて誰もが知っているようなタイトルなら、

 

「時に西暦2015年。襲い来る謎の敵『使徒』に対抗するべく、人類は汎用人型決戦兵器『エヴァンゲリオン』を――」

 

なんて、ストーリーを言ってしまっても、

 

「あ、知ってる知ってる。おジャ魔女どれみでしょ」

 

となんら問題はないのですが。

 

本作まだまだ発売直後の作品。
内容のネタばらしをするような書いてはいけない段階です。

 

ですので、『編集長殺し』ってどんなシリーズなのか、それを紹介しましょう。

 

中学館のライトノベルレーベル「ギギギ文庫」。

このギギギ文庫編集部の面々が、基本的な登場人物となります。

 

編集者として半年目の新人川田桃香
彼女がこの作品の主人公で、一人称の視点人物。

 

その川田の右隣にデスクをおくのは岩佐彩芽さん。
川田の先輩編集者で、かなりの美貌をもちながらも、肝臓の健康になかなか問題をお持ちの方。
漢方薬をキメがちな編集者です。
ぼく的にはいちばん好きだったりします。

 

井端さくらさんは可愛い眼鏡キャラ。
外見は美少女ですが、その美少女っぷりを台無しにする言動をするオタクです。
ラノベレーベルなのでオタク的なことへのリテラシーが高い職場なわけですが、ダントツでオタクです。「ンゴンゴ」言ってますし。


浜山かんなさんも美少女です。が、見た目にまるで頓着しないタイプで、髪も着こなしもてきとうです。
同様に性格もずぼらでしょっちゅう編集部で寝ています。
でありながら担当作がときどきヒットするらしくクビにならずにいます。
編集業務に対するこだわりや愛がいちばん描かれているのも、この浜山さんな気がします。

 

星井菫さんは副編集長です。
セクシーな姿でフェロモンを発散するお姉さんで、もちろん美女です。
この副編集長、権力志向が強く、編集長の座をしっかり狙っています。

 

小山内桐葉さんは2巻の終りから登場します。
川田よりも後輩のド新人。まだ担当作を受け持つこともなく、編集者としての基礎を教わっている段階です。
大変空気の読めない、やばい思考回路の持ち主です。

 

そして編集長
外見は小さな体で金髪ツインテールの可愛い幼女なのですが、なぜか編集長という権力あるポストを手にしています。
性格は極悪そのもの。口から飛び出す言葉の9割以上はナイフのような殺傷能力を有しています。
とんでもなく自己中心的で、部下にはむちゃな要求をくりかえし、常に反対のことをいうあまのじゃくな幼女です。
彼女だけは名前が公表されておらず、人物紹介でも「編集長」とだけ書かれています。

 

以上のような個性的な編集部員たちが、幼女に理不尽に怒られ、作家が発生させる問題に右往左往し、隙間時間にちょっとした楽しみを編集部で共有したりする。
それでいて一冊を通して川田がちゃんと、先輩のアドバイスや個人の決断で編集者としてお仕事をまっとうし、ほのかに成長していく。

 

というのが基本的なお話の形式となります。

 

編集長が幼女という点をのぞけば超常現象的な要素は無く、西暦2015年に使徒が襲来しなければ、シュワちゃんも妊娠しません。


お仕事小説としての側面もあるので、出版業界の内側に興味がある方、とくに就職活動でラノベの編集部を志望している学生さんにも学ぶところが多かったり少なかったりすると思います。

 

あと、いわゆる読後感というやつなのですが。

 

どのキャラを好きになるのかにもよりますが、個人的には編集長の殺傷力高い舌鋒がくせになります。

読み終えたころにはぼく自身も影響され、自然と吐く言葉が毒々しくなり、

 

「オッケーグーグル、近場のファミレスを検索して。はやくしないとイヤホンジャックから手つっこんでカメラのレンズがたがた言わせるよ」

 

などと、つい口をついて出てしまったこともあります、ドコモショップの店頭で。

言葉を毒々しくしたい人、毒々しい言葉をありがたくいただきたい方にも非常におすすめな作品です。


これはマジ殺しもありうるんじゃない?【ネタバレしない程度に感想】

まずは表紙のおはなし

今巻をアニメショップで購入したときに、表紙を見て、まず感じたこと。

それは、

 

「おまえ誰だ!」

 

でした。

 

なんかポップでカラフルなオーラ全開の美少女がおしゃれぽいポーズをとっています。

 

これまでの表紙を振り返ると、1巻は川田のえっち気味な体操服姿、2巻は幼女編集長のサディスティックな表情と自信に満ちた立ち姿、3巻は岩佐さんの日本代表ユニと生足。

とまぁ、順番に1キャラずつ登場しているため、もちろん知ってるキャラの誰かなわけですけど……。

 

このシリーズのキャラは「美少女だけど残念」な人たちばかり。

 

なので、ここまでストレートに、非オタクな女の子たちでも「あ、カワイイ」って感じそうなイラストがくると、脳がキャラの照合をうまくおこなってくれません。

よりによってまさか、THE・オタクの井端さんとは……。

 

着ている服もサブカルかわいい感じでカラフルです。オタクな設定を逆用しておしゃれさを演出しています。

 

このカラフルオシャレ服が中央にくるためか、いちだんとポップで派手な表紙に見えますし、実際にインクもいっぱい使ってそうで、手にとったときのインクかぶれによる痒みが心配になるほどです。

 

『このライトノベルがかゆい!』の「かゆみの原因は乾燥肌だった部門」で7位くらいに入ってそうなくらいです。

 

つづいて新キャラのおはなし

今回、少しだけ登場した新人デザイナーの海老沢さん。

人物紹介には載っていませんが、イラストもしっかりついています。

 

デザイン事務所の新人であり、まだまだ先輩にいろいろとアドバイスをいただいている身。

所属組織での立場的にも、主人公の川田とおなじようなポジションです。仕事を通じてふたりはすぐに意気投合します。

 

上司もおなじくヤバイ感じの人っぽいですし、似た構造を用意することで、ネタの出しどころを増やしてきた印象です。

再度登場の予感もしますし、なんならスピンオフでデザイナーサイドがメインの作品が書けちゃいそうな気がします。

 

『デザイナー殺し』……いや、デザイナーみたいなおしゃれ職をあつかうならタイトルもおしゃれにして、『デザイナースレイヤー』。

 

なんだか普通にありそうです。

 

そして5巻へ

今巻のポイントとして、無敵の幼女への対抗策を、それぞれがひとつ持つにいたった、というのがあると思います。
そういってよければ、川田が対編集長能力の面で成長した巻でもあります。

 

また、ラストに妙に意味深な描写が出てきます。川田が編集長の様子にとある違和感を覚えます。

 

そのふたつと、今まではいまひとつ意味のわからなかった(というか内容に即してなかった)『編集長殺し』というタイトル。

ある方向にむかって、物語がおおきく動いていきそうな予感がします。

 

これは、次の5巻を楽しみにせざるをえません。

  

編集長殺し 4 (ガガガ文庫)

編集長殺し 4 (ガガガ文庫)

 

 

【感想】川岸殴魚『いせたべ~日本大好き異世界王女、求婚からの食べ歩き~』


ぼくはあまり本を作家買いするタイプの人間ではありません。好きな作家はたくさんいますが、「この人の本は全部読みたい!」とまではなかなか思えず、思ったとしても実行に移すことはなかなかできずにいます。

そんなぼくが「できれば全部読みたい」と思い、とりあえず出ている本の8割くらいは読んでいる作家が、川岸欧魚さんです。

 

今回とりあげるのはそんな川岸先生の『いせたべ~日本大好き異世界王女、求婚からの食べ歩き~』です。


殴魚先生ありがとう いつもおもしろい小説を書いてくれて…【作者紹介】

川岸先生は、第3回小学館ライトノベル大賞の審査員特別賞を受賞した『やむなく覚醒!! 邪神大沼』にて2009年に小学館ガガガ文庫からデビューしました。

以来、邪神大沼人生勇者と勇者と勇者と勇者編集長殺し(現行の最新作)、と、いくつものシリーズををガガガ文庫よりリリースしています。ジャンルは多様ですが、いずれのシリーズもギャグに特化した作品であるのが特徴です。

年齢等は公開されていないようですが、大学時代、芸人のザ・ギースの高佐一慈さんとおなじサークルに所属していたようなので、おそらく彼と近い年齢なのでしょう。

『人生』は2014年にテレビアニメ化しました。おそらくそこで知名度が飛躍的に上昇したとおもわれます。ぼくも人生で知りました。

 

人生で知ったにもかかわらず、初めて手にした作品はデビュー作の『やむなく覚醒!! 邪神大沼』。ネット上で彼のファンらしき人物がこちらを猛烈に推しているのを見かけたことによる選択でした。

 

で、読み進めてみると……ほんとうにとんでもなくおもしろい!! というか笑える!!

 

読書好きの知人にたずねたところ、

 

「邪神大沼は神ですよ!」

 

との返事ももらいました。たしかに神がかったおもしろさでした。

すかさず続刊にも手を伸ばしていきました。

そのたびに、

 

「うん、今回も神だった」

「すごい、また神じゃん」

「お、今回もそれなりに神っぽいような気がするぞ」

「読みながら食べていたファミマの厚切りハムカツが神だった」

「今回はどちらかというと神というより紳だった。紳助だった」

 

と、好印象しかありません。

 

もちろん川岸先生の作品が懸命に笑いを追及しているからだというのもあるのでしょうが、おそらくはギャグの相性が良いのだと思います。

 

SNS全盛の時代なので、とうぜん川岸先生もツイッターをやっています。

しかし、なんというか、好きすぎてツイッターでフォローをすることができずにいます。

たまに手動でユーザー名を打ち込んで新刊情報を見たり、「川岸殴魚」というペンネームを眺めながら「殴る魚ってなんだろう……。ワニワニパニックの亜種かな?」なんて思ったりしています。

 

『いせたべ』ってどんな小説?【概略】

そんなワニパニ亜先生の(いまのところ)唯一のガガガ文庫以外の作品であり、初のWEB小説でもあるのが本作。

 

カクヨムでの連載は、『勇者と勇者と勇者と勇者』の執筆と同時進行でした。

そんないそがしい日々を選ぶなんて、「ほんとうに面白いことを書くことがお好きなんだな」と感じます。

どこで見たのかもさだかではないですが、僕の記憶が確かなら、

 

  1. 賭博
  2. ポメラニアンの世話
  3. 家財道具を槌でめちゃくちゃにされる
  4. 小説を書くこと

 

の順でお好きだとおっしゃっていた川岸先生。

 

かなり上位に「小説を書くこと」がランクインしているだけあって、ひじょうに執筆熱心です。

ぼくたち読者におもしろいことを届けたくてしかたがないのでしょう。

 

あくまでぼくの記憶がたしかなら。
そして、ぼくが週1で服用している「起きた瞬間に即DJ KOOのテンションになれる薬」の副作用が出ていないなら。

 

本作のあらすじはこんな感じです。

ふつうの大学2年生である中村成彦。

ある日、彼の部屋に魔法陣があらわれ、その魔法陣で異世界王女ミユと従者のエレノワがやってくる。

二人がやってきた目的は、異世界で有名人である成彦と結婚して連れて帰り、王位継承争いで優位に立つこと。

しかしいくら美少女の求婚とはいえ、魔法陣からやってきた異世界の人とかんたんに結婚をする気にもなれず、ミユとエレノワは結婚を了承するまでいっしょに暮らすことに。

食いしん坊のミユにこちらの世界のいろいろなものを見聞させながら食べ物を食べていく。

 

とまぁ、異世界召喚モノ+グルメ+ギャグな作品です。

 

また、とちゅうでさらに第3のヒロイン女騎士リディアもくわわり、また政略的な結婚を目的としていたミユやエレノワ関係も変化してゆく。

ほんのりですがラブコメでもあります。

 

うん、これは太るね。おもしろ可愛いけど太るね。【感想】

正統派ラブコメとしてのいせたべ

ぼくの好みによるところが大きいのですが、ヒロインの従者であるエレノワが可愛い!

ラブコメといっても単刊の作品なため、ヒロインたちとの二転三転する三角関係や四角関係が描けるわけでもないのですが、正ヒロインであるミユの従者でありながら、主人公に対してほのかに想いを寄せて(というか、芽生えさせて、くらい?)いたりします。

なんせミユが成彦とポッキーゲームからのキスをしそうになったときに邪魔をするくらいですので(そのシーンのイラストもまた素晴らしいです)。

なんせ成彦にもたれかかって、誘惑しますので(そのシーンのイラストもエロ素晴らしいです)。

エッチな要素(あるんです、ちゃんと)で恥ずかしそうにするところも可愛い。

正ヒロインであるミユはこちらの世界の服を着て美少女っぷりをアピールしてくれますし、第三ヒロインであるリディアも真摯な人格で魅了してくれますが、個人的にはエレノワでした。

 

グルメものとしてのいせたべ

さて、本作は異世界召喚ラブコメであると同時にグルメものなわけですが。

基本的には毎話のように何かしら食べるのですが、出てくるのはどれも安く身近な食べ物ばかりです。

なので、よっぽどの田舎や離島暮らし、または刑務所に服役中でもない限り、すぐ真似することができます

 

小説は主人公の成彦の一人称で書かれており、その成彦が食にこだわりを持っているため、字の文が「ほんとうにこいつ、安い食い物のことよく知ってるなぁ!」感で満ちており、こちらの欲望をおおいに刺激してきます。

 

主人公はアレンジも加えていくタイプです。

 

第一話のからあげクンからすでに、おなじくローソンで売っているアレやコレやえっ、あれ……?なものを付け足していきます。

大変勉強になり、第五話の缶詰回なんか、昨今のサバ缶ブームで買い込んだサバ缶を一段上の味わいにしてくれました。

 

とまぁ、ある種の実用書としても使えるのが本書の長所のひとつです。

 

しかし、です。

 

扱ってる食べ物を食べたくなる。

 

これは本作にとって素晴らしい点であると同時に、非常にこまった点でもあります。

出てくる食べ物が体に悪いものばかりなのです。

 

からあげクン、とんこつラーメン、カップ焼きそばにお菓子類。

油や砂糖のオンパレードです。老化や動脈硬化、生活習慣病へと突き進む気まんまんです。

 

ちなみに先日、『長友佑都の食事革命』という本を読んだのですが、対極に位置していると言っていいでしょう。

 

ぼくも「第一話 からあげクン」を読んだ翌日くらいには、近所のローソンでからあげクンを買っちゃいましたとも。しかも、主人公の成彦のこだわりを真似ようとして複数個。

しかも続く第二話がとんこつラーメンです。はい、これも食べました、夜の11時くらいに!

典型的なデブ活食品をそんなに立て続けに食べたら、体重の増加は不可避というもの。

 

しかたないので、1キロ体重が増えたら1キロお腹の肉を切り落とす、2キロ増えたら2キロ分のもも肉を削ぐ、30キロ増えたらお婆さんをひとり切り落とす、ことによって対処しました(お婆さんの平均体重を知りませんので、適切な対処かどうかわかりませんが)。

 

長友選手の本では、「ビタミンやミネラルなどの微量栄養素をほとんど含まない空っぽのカロリー」だとして、白い砂糖を断つことがすすめられています。

対して本書では、主人公の部屋に「お菓子BOX」なるものが存在し、甘いものが詰まっています。

 

長友選手の本では、「油で調理された料理は時間が経つと酸化が進んで過酸化脂質が増える。この過酸化脂質も細胞を傷つけてしまう物質だ。しかも揚げ物などの高温調理では、そもそも油の一部が酸化されているというから、作り置きのフライドチキンなどまさにダブルパンチ」とされています。

 

対して本書では、からあげクンにプロ野球チップスに炙りBIGカツ。油で調理して時間が経過したものをもしゃもしゃ食べています。

 

これらはとうぜん、川岸先生もじっさいに食べているはず。実体験に即しているはず。

健康なものを食べていて、しかも日常的に激しい運動をする長友選手。
不健康なものを食べていて、パソコンの前で手だけを動かしているだろう川岸先生。

もしかしたら、川岸先生は不健康が好きなのでしょうか。

 

となると――

 

  1. 金が振り込まれたからとんこつラーメンを奮発して中性脂肪で血液をめちゃくちゃに。
  2. 酒を飲んだらやはり〆はとんこつラーメンだ。中性脂肪で血液をめちゃくちゃに。
  3. 賭博行為でボロ負けしてからあげクンを買うお金しか残っていない。過酸化酸素で細胞をめちゃくちゃに。
  4. 女なんてBIGカツでほっぺたを引っ叩けばイチコロなんだ。過酸化酸素で細胞をめちゃくちゃに。
  5. ポメラニアンに噛まれる。右足がめちゃくちゃに。
  6. 家財道具を槌でめちゃくちゃにされた悔しさで自分の体もめちゃくちゃに。
  7. 小説を書くこと。そして発売された本をフライにして過酸化酸素で細胞をめちゃくちゃに。

 

これが本当の「川岸殴魚の好きなものランキング」なのではないでしょうか。

あくまで、きっと本当の川岸先生はこうなのではないか、との推測です。
もしくは「毎日続けるだけで少しずつDJ KOOの髪質になれるサプリ」を飲み続けたぼくが見た幻です。

 

とまぁ、さんざん不健康なメニューだと書きましたが、じつは健康的な食べ物も登場します。

うな重や秋刀魚の炊き込みご飯などです。

うな重に関しては、サッカー指導者養成の名門ポルト大の大学院で最先端のスポーツ科学を学び、現在は奈良クラブでゼネラルマネージャーを勤める林舞輝氏の原稿から引用するのが良いと思われます。

www.footballista.jp

 

 おそらく、鰻は疲労回復にはほぼ完璧な存在です。高たんぱく質な上に、魚類では最も高いビタミンB1の含有量。鰻重たった一つで試合直後の栄養補給が成り立ってしまうんですね。成分表を見ても炭水化物105.8g、たんぱく質24.3g、脂質も比較的低い16.4g。しかも、鰻に含まれる脂質はDHAやEPAのような不飽和脂肪酸と呼ばれる健康に良いとされる種類の脂質です。また、レチノールと呼ばれるビタミンAはかぜの予防や体を健康な状態を保つのに役立ちます。

 

いま日本でもっとも注目を集める若手サッカー指導者のお墨付きです。

うな重は安心して召し上がってください(財布が心配になりますが……)。

 

そして、秋刀魚の炊き込みご飯。こちらは巻末の番外編です。

秋刀魚もうなぎと同じくオメガ3の多価不飽和脂肪酸の食品です。

人参(野菜)、シメジ(キノコ類)まで一緒に炊き込み、茶碗に盛り付けてからは大葉とゴマとかぼすを加えます。

 

これなら長友選手専属シェフの加藤超也さんもニッコリです。

真似して食べれば、本編で不健康になったみなさんの体も回復。

そして、DJ KOOモデルのサングラスにかけられた呪いの効果によりボロボロになったぼくの体も回復してくれるでしょう。

 

というわけで、以上のように、笑えて、可愛くって、出会いと別れのしんみりもあり、健康不健康問わず真似して食べたくなる、そんな良作の本書。

 

まだお読みでないみなさんは、ぜひお手にとってみてください。

または現在進行形の最新作『編集長殺し』でも良いと思います。読んでいて笑えて、女性主人公川田の一人称が可愛く、可愛さとおもしろさがこちらも両立しています。ついでに出版業界の内側もわかったりわからなかったりするので、就活生にもおすすめです。

それでは、川岸殴魚作品で、レッツ、EZ DO DANCE!

 

 

いせたべ ?日本大好き異世界王女、求婚からの食べ歩き? (カドカワBOOKS)

いせたべ ?日本大好き異世界王女、求婚からの食べ歩き? (カドカワBOOKS)

 

 

編集長殺し (ガガガ文庫)

編集長殺し (ガガガ文庫)