ブサイクバカンス読書部

読んだ本の感想を書くブログです。

【感想】東浩紀『ゆるく考える』

 限りなく3月に近いけど、日付上はもう4月です。

 

ほんとうはもっとはやく更新するはずだったのですが、ウルトラのツアーのチケットも確保済みだった電気グルーヴファンなので、ちょっと精神的にキツい時期がありまして。
逮捕報道が出た翌日なんて心身が絶不調で……。

 

ほんっとうに不調で、「夜は墓場で運動会、深夜は畳でゴム草履」「夢の中でもタワシが売れない」「ユニフォーム姿の半漁人」「賽の河原で学級会」「貴い手淫、「貴ナニー」」など、数々の言葉が脳にあらわれては消えあらわれては消え。

 

せっかくだから、浮かんだ文言を、電極を刺してコンピュータに繋いでるタイプの友人の脳に直接、端末から送り込んでは消し、送り込んでは消し。

 

そんな遊びをしているうちに少しずつ少しずつ気持ちも上向きになり、「まぁ、スモールルームフィロソフィ哉さんも逮捕されたことあるし……」なんて後ろ向きな慰め方もしつつ、ようやく読み終えたのがこの本、東浩紀『ゆるく考える』というエッセイ集です。

 

f:id:yutaarai1983:20190401011907j:plain

 

で、その感想なのですが、収録された各エッセイひとつひとつに書きました。

 

なので長いです。ブログ記事のクセに全部で1万9千字あります。

 

しかも「全部にコメントしよう」と目標を立てて読んだはいいものの、すべてに感想なんてあるわけもなく、無理やりコメントしています。

 

なので、このブログ記事は時間を奪うくせに、あまり読む価値がありません。

 

・死刑囚って暇だなーという人
・一生出られないけどインターネット接続環境だけはある穴に住んでる人
・建前上は処女ということになっている人気女性声優のヒモとして暮らしてる人

 

あたりの、時間が有り余っている人たちを除き、この先を読み進めないことをオススメします。

もしくは、当記事いちばんお尻に配した「最後にちょっと思ったこと」という本全体の感想までいっきにとんでください。下の目次をクリックすれば飛べます。

  ファウストの菅野ひろゆき対談もメフィストの小松左京対談もページ数物足りないよね【著者紹介】

東浩紀さんは東京大学在学中である1993年に雑誌『批評空間』にて批評家デビューし、以来25年以上批評家・哲学者として、最前線にて活躍してる方です。
愛称は「あずまん」(小学生時代は「あんず」)。


近年は批評のために会社経営にも挑戦していました。

 

ぼくが東浩紀さんの文章と出会ったのは、96~97年ごろ。
まだ親の目をかいくぐって手淫をする方法論の確立前夜だった中学2年生のぼくは、クラス替えによってオタクなクラスメートと出会い、オタク人生を歩み始めておりました。

 

96~97年といえば、ま、「スレイヤーズNEXT」や「機動戦艦ナデシコ」「少女革命ウテナ」なんかもありましたが、なんといってもオタク界最大の話題作は「新世紀エヴァンゲリオン」でした。

 

オタク友人の勧めでエヴァのビデオをレンタルし、エヴァブームに足を踏み入れていったぼくは、一冊の本に出会いました。
それがスタジオボイスのエヴァンゲリオン特集号です。

ここに収められている「庵野秀明はこう語った」という文章で、あずまんテキストのロストバージンをしました。

 

が、といっても中学2年生だったし、インターネット環境もないし、あったとしても今みたい情報に満ちた時代ではなかったので、記名されたライターの名前を手がかりにして当時の彼のほかの仕事をチェックするなんてこともなく。
ぼくはぼくで、あかほりさとるの小説を読んだり林原めぐみのラジオを聴くオタクライフを送っていました。

 

そして21世紀をむかえ、ネットで知り合った京大のインテリに薦められた『動物化するポストモダン』により、東浩紀の文章と再会することとなったのです。2005年ころのことでした。

 

といっても本格的にファン化したのは2008年ごろ。ニコニコ動画にそこそこ彼の動画がアップされ始め、しゃべりを聞くことによってでした。

で、ファン化して驚いたこと。


それは趣味的な共通点の多さです。

 

ざっと挙げると、エヴァはもちろんのこと、押井守(六本木ヒルズのイベントに毎年行く程度にはファンだった)エロゲー(ぼくは剣乃ゆきひろ、key、アージュのファン)、新本格ミステリ(メフィスト賞を入り口にして、島田荘司と京大ミス研の作家等を読んでいった)SF(初期2ちゃんねるの剣乃ゆきひろスレ内でYU-NOの元ネタとして小松左京『果しなき流れの果に』の名が挙がっていたのがきっかけ)。

 

またテクノやエレクトロニカ、ノイズが好きだったので彼の友人である渋谷慶一郎のことは知っていたし、ダイアルアップ接続時代からホームページを作っていたので、HTMLタグ手打ち仲間だったりもします。

 

とまぁ、(おそらく深さにおいてだいぶ差はあるのでしょうが)趣味的な共通点はあるわけです。

 

しかし、学歴や経歴は、ドバイの超高層ビル屋上に設置した脚立の一番上とマリアナ海溝最深部に掘った穴くらいの圧倒的差があります。


著者は東京大学とその大学院を経て博士号を取得。
慶應義塾大学文学部講師、スタンフォード大学日本センターリサーチフェロー、東京大学情報学環客員助教授、国際大学GLOCOM副所長を歴任後、早稲田大学文学学術院教授と東工大世界文明センター特任教授を兼任という、なにがすごいんだかわからなくなるくらいすごいです。

 

こっちは牛骨爆砕大学薬学部声優タレント科で和泉式部日記や万葉集なんかのゼミに出て、なんか冴えない感じで過ごしてましたから。

 

ちなみにこの東浩紀先生。かつてはその知性のみならず、イケメンぶりも話題になったりしてまして。
声優の柚木涼香さんのお墨付きをもらったりしています。

 

この点もこちらと比較するなら、イケメン度も惨敗です。

こっちは目と耳の位置が逆だし、右ひじには人語を喋る人面創があります。
骨盤にいたっては、皮膚の内側に存在せず、2メートル後方の腰の高さに浮遊しているという、なかなかの非人間っぷりですので。

 

『ゆるく考える』ってどんな本?【概略】

本書はいわゆるエッセイ集というやつです。

 

この本は全体で3つのパートにわかれています。

 

まず1部は2018年に週1で日本経済新聞に載ったエッセイをまとめたもの。

2部は、この本のタイトル『ゆるく考える』の元となった「なんとなく、考える」という雑誌『文學界』での連載をまとめたもの。

3部は2010年から2018年までの間に各媒体に単発で載った短い文章の寄せ集め。

 

つまり、たんに発表順に並べるということはせず、「現在」→「過去」→「過去から現在に至る過程」という構成をとっています。


なんだかおなじ著者によるSF小説『クォンタム・ファミリーズ』の「物語外1」「第一部・第二部」→「物語外2」という構成に似ている気がしますが、これは偶然でしょうか。

 

イエーイ、あずまん見てるー? ムシロオレガオマエヲミテイルゾ【感想】

1本1本の感想

ⅰ 2018

「坂のまち、東京」
東西南北に下り坂があり、自転車で移動するのがきびしい場所にすんでいる板橋区民のぼく的には「わっかるわー、東京の坂感。坂上秋成って感じだよねー」なんて思いながら読んだ。

 

もしかしたらどこでもそうなのかもしれないけれど、東京の街は徒歩で移動することで見え方がちがってくる、というのはわかる。


『機動警察パトレイバー the Movie』で帆場の足跡を追う松井さんとその部下なんかも、歩き回ることで、公共交通機関での移動だけでは見えてこない東京の姿を感じていたのかもしれない、なんて連想も。

 

「休暇とアクシデント」
意想外の、夾雑物を楽しむ感覚。不意に生じたアクシデントが、現代のテクノロジーやサービスが取り払ってしまうものを運んできてくれるのって、たーのしー!!

 

「よそものが作る地域アート」
ここ10年でいい感じに体重が増えていそうな美術評論家の黒瀬陽平さんがキュレーションした「百五〇年の孤独」という地域アートのお話。


地域なる言葉で思い出すのが、本書の著者である東さんも参加した『地域社会圏モデル』という本。


もう手元にないので記憶(容量2メガバイト)を頼むことになるが、たしかある建築学者が、地域と言う言葉を「その土地の祭りに参加する人の住む圏域」なんて定義していたはず。


となると、この世界のありとあらゆる事物は「よそ」にあるわけで、当事者の時代なるものは、広いはずの世界に対する人間の興味や関心の縮減を求める時代なのではないかと思った。
(これは本文の内容に対する感想というより、キーワードで連想して勝手に思ったことだ)。

 

あと、ぼくは美術のことも自分の存在も、なんなのかさえ分からず震えているタイプのオタクなのだが、黒瀬さんが「自分でお金を調達して企画して勝手にやってる」というのも、オタク的でいいと思った。
エロゲー会社のような、もしくはDAICON FILMなんかのやりかただ。

 

「仮想通貨とゲーム」
仮想通貨なんて自分で買う気は、とりあえず今のところないので、他人がサクッと体験して短くまとめてくれているのはありがたい。

 

「制限時間のないトークショー」
著者が経営している(このブログを書いている時点では代表を降りている)ゲンロンカフェのちょっとした、それでいて決定的に重要なふたつの試みのお話。


ゲンロンカフェに初めて行ったのは、たぶん「エヴァQ」批評同人誌をつくるべく、坂上秋成が著者(あずまん)にインタビューをするイベントだ。
それ以来、年に2~3回程度は五反田に遊びに行っている。


毎度、五反田駅の改札を抜ける度に、

 

「駅のこっち側に行けばゲンロンカフェで脳みそを知的に刺激してくれるけど、駅のあちら側に行けば怒張した男根をエロティックに刺激してくれる系のお店があるし、どっちだ……どっちにしよう……どっち、どっち、どっちだ、どっちにすれば……う~~~~~~~~~~~ファミチキくださいっ!」

 

と悩んだ末にファミチキ代を支払った結果、男性器愛撫料金の支払いにわずかに足りなくなり、ゲンロンカフェへと移動する。
そんな感じで楽しませていただいています。

 

そして制限時間の話。
ゲンロンカフェでいちど挟まれる休憩。


この休憩まで話を聞いて「プロローグが終わった」って感じる。
けっきょく用意してきたことをプレゼンしている段階ではあまり対話の意味ってなくって、対談相手も聴衆みたいになっている。


ひとしきりプレゼンし終わってから、意外なところがつながることで初めて話が弾んでいくという瞬間を何度も目にした気がする。

 

「リゾートと安楽」
海外のカリブ海クルーズの話。


もしかしたら旅行を趣味とする人や、旅行の手引きを読むのが好きな人には常識なのかもしれないが、行かなきゃわからない系のことが書かれている。


といっても、行ってみたら、かちかち山の泥舟を流用したものに乗せられたとか、アララト山にあるはずのノアの方舟の完コピの船だった、といった話ではない。


また、本稿では、海外の進んだ(?)旅行サービスへの驚きが、日本について考える契機ともなっている。


比較対象があってはじめて物事はわかってくる。
日本を素晴らしいと思っている人ほど、むしろ積極的に海外へ出ていくことが重要だと思った。

 

「選択肢は無限である」
娘さんのお受験の話。


人間のおかれている条件や心境は常に暫定的なものだ、ということは、ある程度の年齢になれば経験的によくわかる。


ぼくもエヴァンゲリオン劇場版シト新生のレイとアスカのテレカ付き前売り券を買い逃したリアル中学生時代には、劇場窓口からの帰り道、いっしょに行った友達と口を利く気力もなかった。


世界が終わったと思った。これが「終わる世界」かと。
しかし、そんな気持ちもエヴァブームの終わりとともにどこかへ消え去った。

 

いまでも大人気声優ユニットのライブチケットの抽選に落ちた際は、

 

「え、俺がワルキューレ見れないなんておかしいでしょ……ねぇ、おかしいでしょ……」

 

という、声優ライブに行けないルートが確定してしまったことに気落ちすることがある。

 

であるものの、ショックのいっぽうで「どうせ喉元過ぎれば熱さ忘れるだろうな」なんて思うし、チケット資金をべつのことに使おうなんて考えることができる。

 

「ペットと家族」
これ読んでいて、「犬と人形で『イノセンス』を作った押井守ってやっぱすごくね?」って思った。

 

「アマゾンとコンビニ」
狭い部屋にごちゃごちゃとモノを置いている身としては気持ちが大変よくわかる。
整理整頓してもいいんだけど、その整理整頓をしやすくするためにも、そもそも余裕あるスペースって必要だしね。


圧倒的共感を呼びそうな文章だと思った。

 

「天才をひとりにしないこと」
かなり天才好きのぼくとしては、天才待望論よりの人間だった。
が、この稿により、自分の視野の狭さを感じた。

 

「震災と無気力」
これもとても理解できる話。

著者の言説を追って10年以上になるが、震災以降はことあるごとに「みんな忘れるの早すぎ」と言っているし、そのたびにぼくも「あっ、やべっ、たしかにアレまだ半年も経ってないのか」となることがしばしば。

 

本稿で

 

「「考えてもしかたがない」こととそうでないことの区別ぐらいは訴えていきたいと思う」

 

と述べているが、一つ前の「天才をひとりにしないこと」で、紹介されているゲンロンの開催する各スクール(批評、SF小説、美術、あと一部の漫画)は、考えるべきこと流してしまうこの社会を批判する力を育てるものでもある、と思う。

 

「アフタートークの功罪」
あずまん(この本を書いた人)のアフタートークを見たことがある。


あれはまだ『Angel Beats!』が放送中だった2010年の5月。


劇団粋雅堂による、CLANNADの二次創作演劇『CAILLINAD』。
そのアフタートークに、ゼロアカ道場を終えたばかりの坂上秋成をともなって登壇した。

 

王子の北とぴあ横の地下にある、違法薬物の売買でもしていてもおかしくないような小さなハコで、ほとんど著者の真上から観覧した。


さすがに何をしゃべっていたのかは記憶にないが、ゆいいつ覚えているのが、坂上秋成に「セカイ系用語辞典」の作成命令が下ったこと。
2019年現在、まだ達成されていない。

 

「哲学者と批評家」
「哲学」と名指されてるものと、その名指しの外側にあるものの区別が、歴史的にごっちゃになってきた、という話。

 

著者が学部生だった90年代初頭と違って、今はネットに情報が多いし、雑誌『現代思想』も新年には「現代思想の総展望」という特集を毎度のように組んでおり、最先端の(?)現代思想に触れやすくなってるとは思う。

 

認めない人も一定数いるかもしれないが、そうした最先端の現代思想の情報に触れたい読者を増やしたり維持してきたのは、ある程度は著者のここ10~15年くらいの仕事の成果だと思う。

 

ところで、ぼくの大雑把なイメージでは、「批評家」なるものは、自己を批評してしまい、手持ちの人格カードを出し分けたりできる存在だと思ってる。

ただの「哲学者」よりも「哲学者・批評家」という肩書きで紹介される人物のほうが、面倒な人生を送らざるを得ないような気がする。

 

「水俣病と博物館」
これもカリブ海クルーズとおなじで、行ってはじめて気がつくシリーズ。


水俣病資料館と、水俣病の被害者を支援する組織である水俣病センター相思社が運営する水俣病歴史考証館、そのふたつに訪れたときの話。


とくに後者が印象的で、職員の言葉に「胸を衝かれた」とのこと。
これもやはり現地に行った人ならではの感想だ。


情報は確かに伝達できる。
が、職員の表情や語り口を直に受け止めるというのはまったく情報量が違う。さらにいえば、そこにいるほかの職員の姿だって目に入っているだろう。
五感を駆使することで、来歴への洞察や、心の感度が違ってくると思った。

 

「匿名と責任と年齢」
鈴木敏夫のもとで働いたりしてたあの人のことだ!
ぼくも35歳をこえてしまったので、もう見た目とかも「あれ、こんなだっけ、俺……?」と思う瞬間もあり、こういうの読んでいてつらい。

 

「育児と反復可能性」
これはなかなか、こう、オタク的に胸に来るものがあった。


著者には娘がひとりしかいない。娘の周囲を流れていくすべての時が、ただ一度のものでしかなく、それをどんどんと消費していってしまう。そのことに喜びと辛さがある。
が、娘に妹がいたら、もっと家族が多かったら、下の子たちで経験を反復できるのではないだろうか、というお話。

 

かつて、まだエロいパソコンゲームの主戦場がPC-98であり、メディアもフロッピーディスクで、MS-DOSを動かしていた時代。
エルフという有力なエロゲー会社が『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』という歴史的神ゲーを出した。


ぼくはセガサターンでこのゲームと出会い、2000年ごろには、まだかろうじて秋葉原でPC-98ソフトをあつかっていたため、そちらもプレイした。そんな信者的なファンだった。


そのYU-NOが、時を経てリメイクが発表されたときに、違和感を感じた。
おなじ名前で、おそらくほぼおなじ物語で、おなじ役割をし、大部分のテキストは剣乃ゆきひろ神のものを流用するだろう。


しかし、キャラクターデザインと声がべつのものになっていたのだ。
そのとき以来、セーレス(物語の後半に主人公と結婚する、言葉をしゃべらない異世界の少女)を、おなじセーレスとして愛することができるのか、ずっと考えている。

 

「演技とアンドロイド」
ただの娯楽よりも、批評性を見出せる娯楽のほうを好む著者の趣味があらわれているが、もうけっこういい年なのに、ふだんあまりやることのないゲームという媒体にもちゃんとセンサーが働くところがエライと思った。

 

「連休のヘイトタクシー」
以前、喫茶店で中国人女性と働いていたことがある。
そのとき店を訪れた男性客ふたりが、ほとんどレジの目の前の席で、周囲をはばからずに中国人に対する攻撃的な言葉を話し始めた。聞き耳をたてたくなかったしだいぶ前の話なので会話の細部は記憶していないが、背後にネットの情報や空気をどことなく感じた。


あのときは、ほんとうに申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいだったが、かといって何をするわけにもいかず、ただ時間が過ぎることを祈った。
そんなことを思い出した。

 

「ソクラテスとポピュリズム」
初めてソクラテス(というかプラトン)を手にとったのは、2002年。
藤崎竜が少年ジャンプで『サクラテツ対話篇』の連載が始まったのがきっかけだった。


「対話篇」とかいう見慣れない言葉をWindows98マシンで検索し、「なるほど、サクラテツはソクラテス、対談や座談会形式の哲学書が対話篇なのか」と、手打ちHTMLで作成されてそうなWebサイトで知った。


岩波文庫で『饗宴』を読んだ感想は、「シャーロック・ホームズや御手洗潔のような奇矯な名探偵が出てくる本みたいだ」というもので、キャラクター小説的に読んだ記憶がある。

 

ぼくたちの生きる時代は、情報技術の急速な発展と普及という人類史的な転換点に位置していることは間違いないだろう。
だが、2400年前のソクラテス(プラトン)の言行を現代的にとらえかえすことができるくらいには、(もちろん偉大な哲学者の偉大な洞察があるにせよ)人類は変わっていないのだろうと思う。

 

2400年というのはそうとうな時間だと思う。父や母、その父や母、またその両親、さらなる両親……と、何世代が「中出しぃぃぃっ!!! からのー……ちゃくっしょぉおおおおおう!!!(着床)」を重ねてきて経過した時間だろうか。


長い時間を重ねても人間というのはそうそう変わらないようだ。
ネットを見ていると頭良さげな人たちが「人類をアップデート」とか言っているが、ちょっと舐めている感が否めない。

 

が、同時に思う。2400年というのは長い時間なのか、と。
たとえば300世紀くらいに人類史をふりかえれば、また違ったとらえかたになるのかもしれないだろう、と。
地球人という1サンプルだけで、長い短いなんて、なぜ言えるんだろう、と。

 

まぁ、長いって言ったのはぼくですが……。

 

ハビタブルゾーンに位置する系外惑星の、地球の最寄のところだって、とんでもなく遠い距離にあるうえ、生命が存在して、しかも知性をもっていて、文明を築いているかどうかもわかりゃしない。なかなか1サンプルであるという条件が変わりそうにない。


『太陽の簒奪者』や『楽園の泉』のように、向こうが勝手に接近してきて、ついでに情報とかくれて去っていくのならありがたいのだけれど。

 

「ハラスメントと社会の変化」
ぼくの感覚だと、ハラスメントは今後も下の世代に引き継がれていくのではないか、という気がしている。
3歩進んだ人たちが現れる一方で、相対的に2歩戻ったかのような態度をとる人たちが、まだまだ残存するのではないのか、と。

 

「美術とマネーゲーム」
美術自体は好きだが、作品外部のことにはあまり関心がない。


作家の人生や、たとえば作品のタイトル、現実に存在する風景ならいつ時代のどこか、といったメタデータは知りたい。


だが、いくらでどこで売り買いされようとも、そしてそれがこの世界の様々な反映だろうと、あまり気に留める脳みそを持っていないのがぼくだ。


なのでこの話は、ぼくの脳がいまひとつ受けつけない話ではある。
ただ、ちょっと関連して思ったのは、美術とサッカーが似ているという、ゲンロンカフェのトークイベント内で著者が語った話。


サッカーのほうは、マネーゲームで扱う対象が生身身体を持った選手や万単位のサポーターの声が直にスタジアム内に響き渡るクラブチームであるがゆえに、広い意味での美術品と比べて、最終的には抑制がきくのではないか、ということ。

 

「歴史とアイデンティティ」
この文章には素直に感動した。文章の指摘も鋭いし、ポップカルチャーの批評をしていた経験ものぞかせつつ、観光の力も訴えていて、批評家としての能力にただただ感服。
とりあえず、本稿で取り上げられた映画『タクシー運転手』は見ておかないと、と思った。

 

「チェルノブイリと観光客」
ゲンロンが「観光客(の目線)」というものを打ち出し始めたのが、チェルノブイリを訪れたあたりからだったと思う。
観光客だからこそ、ある種他人事だからこそ、矛盾した姿をそのまま受け止めて考えることができる。


これは人間の観測行為の問題に一工夫くわえるという話だ。


であると同時に、「もっと広く好奇心を持てよ」という、好奇心が縮減していく世の中へのメッセージなのかもしれない、と思った。


この世の事物事象はほとんど他人事であり、当事者として接する物事なんてほとんどない。
となると、観光客的に接しなければ(それで良いと思って踏み越えなければ)、人はほとんど何も知らないままの生を閉じていくことになる。

 

「事実と価値」
批評の面白さがわからなくなっている、もしくは、わかる人が育ちにくい世の中だという話だと思った。
雑誌『ゲンロン』でもスクールでも、それがわかる人を育てようとしているのかな、とも。

 

「困難と面倒」
人間個々人にとって本当に大切な存在はあまり多くなく、獲得するのも困難だという話だと思った。

 

「いわゆる「議論」で相手が変わると考えているひとは、人間の本質について無知である。」という一文は、先日ゲンロンカフェで行われたイベント中に著者と哲学者千葉雅也が議論をしながらも、最終的に互いの立場が変化することはなかったことを思い出す。


ⅱ2008-2010

「なんとなく、考える1 全体性について(1)」
若いっ!?


さっきまでアラフィフの人の文章を読んでいたので、めっちゃ若くなっててビビった。なんか肌年齢とかも若返っていることが伝わってくる。


カギカッコとか多い気がする。
新聞と文芸誌という媒体の違いもあるのだろうけれど。
言葉の選択もなつかしい……。

 

「なんとなく、考える2 全体性について(2)」
なにかこう……2018年の文章を読んだあとだと、かなり自分の言葉の力に自信を持っているように感じる文章です。

 

とはいえ、さすがの洞察力というか、たとえば小説と批評へのつっこみの話は、いまのツイッターで日常的に目にする光景そのものを言い当てているように思えます。

 

「なんとなく、考える3 公共性について(1)」
斉藤純一が本に整理しているような従来の公共を、台頭してきたネットサービスが複雑なものにしてしまったあのころ。


当時はまだガラケーだったが、すっかりスマホも普及し、グーグルのサービスどころか、グーグルの開発したOSを常時手元において生活するようになった現代。


ここで説明されているような公共性への認識の違いがかつて存在したこともすら意識しなくなっている自分がいることに気がつきました。

 

大塚英志側の現状認識がどうなっているのか、2019年現在、知りたいところ。

 

「なんとなく、考える4 公共性について(2)」
ありましたよねぇ、キャラクラシーとか。と、遠い目をしてしまいました。

 

「なんとなく、考える5 全体性について(3)」
なつかしの、早稲田文学の10時間シンポジウムのお話。


このころにはゼロアカ道場も並行して走っていて、ゼロアカ生もちょっとだけ登壇していたはず。


「氏ね」という言葉遣いにも時代を感じる。


文学(文学的想像力)の全体性の話って、ぼくがあまり文学全体への熱意を持っていないタイプなせいか、震災以降はほとんど意識することなく今日まできてしまった。
今こうした問題は、どこのだれが考えているのだろうか。坂上秋成だろうか。

 

「なんとなく、考える6 現実感について」
千葉県の房総半島(日本地図を横から見たダックスフントだとすると、前足に相当する半島)にある「シェイクスピア・カントリー・パーク」と、ネットスターの企画でCLANNADの聖地であり、著者の母校でもある筑波大学附属駒場高校を巡礼をする企画から、シミュラークル(もはや懐かしい用語)にアウラ(懐かしい!)が発生すること、についてのお話。

 

これを読みながら、ぼくはJリーグのことを思っていた。


93年にスタートしたJリーグの各クラブチームたちは、(前身となるチームが存在したとはいえ)欧州などのサッカー文化のある国を真似て、応援スタイルを人工的に作り上げていった。
それが四半世紀を経て、上はおそらく60代から下は3~4歳くらいまで、ホームスタジアムに集っている。


「なんとなく、考える7 娯楽性について(1)」
この回は、朝日カルチャーセンターで行われた「批評の書き方」でとりあげられた回であり、執筆過程の説明を聞いた覚えがある。

www.radiodays.jp


「なんとなく、考える8 娯楽性について(2)」
『セカイからもっと近くに』の押井守論を書いていた時期の原稿。
『立喰師列伝』は原作小説も読んで、初日舞台挨拶まで行った(はず)。

 

「なんとなく、考える9 ルソーについて(1)」
ついに『一般意志2.0』篇に到達したー!
当時ぼくが書いていたやる夫スレ『ドラゴンクエスト精霊ばらしー伝説』『続ばらしー伝説 やる夫のドラゴンクエストⅢ そして伝説へ・・・』のまとめサイトであるやる夫之書の管理人が東工大の生徒であったため、じつは授業で行われた内容をチラ見させてもらっていた。

 

(有料だった気もするけど)、ゲットし損ねたことも多く、『一般意志2.0』の発売を心待ちにしていた記憶がある。

 

ウェブ学会やら、isedの書籍化(Web掲載のものが書籍になるなんて、昨今のなろう小説のようだ)なんてあって、まだ夢に向かってまい進する予感もあった時期だなぁ、と。

 

また、水村美苗の著作が出てきて、「あっ、当時、状況認識の違いを確認するために何度か言及の対象になってたなぁ」なんて、懐かしい気持ちにも。

 

「なんとなく、考える10 ルソーについて(2)」
ちょうど伊藤計劃氏が亡くなったころの原稿。


伊藤計劃に関しては、「読まなきゃ」という気持ちを抱えたまま、いまだに1冊も読んでいない。
最初に登場したころには気になっていたが、「伊藤計劃以後」みたいな売り出し方をされた結果、手にとりにくくなってしまっていた。


最近、『レトリカ4』という批評同人誌に、あの麻枝龍の「内宇宙」が「セカイ」と出逢う――私の「ゼロ年代」なる論考が掲載された。

rmaeda.hatenablog.com

直に話を聞いたら「論文を書くために、伊藤計劃を読んだ」と、俺のおごりのサラダかなんかを食いながら話すのを聞き「あ、やば。読んでねぇわ、俺」と思った。


しかし、今。本稿を読んだのを契機として、まずは書店でゲットくらいしておくべきなんではないか、と感じている。

 

「なんとなく、考える11 ルソーについて(3)」
おおお……。


哲学書の読みの方法や、これから書く哲学書のアイディアを、二次元美少女へと変換して表現する人、初めて見た……。

 

冒頭の宮台真司とのアメリカ講演が収録されてるのは『思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ』だし、佐々木俊尚さんや、個人的にかなり好きだった濱野智史さんの名前も登場するし、ITや理系、それと人文知の読者をなんとか繋ごうとしていたころだなぁ、と。

 

あと、このへんを読んでいると、『一般意志2.0』『ゲーム的リアリズムの誕生』に続く、動ポモ3にあたることがわかる。

 

「なんとなく、考える12 アシモフについて」
先月行われた、三宅陽一郎 × ドミニク・チェン × 東浩紀「人工知能のための哲学塾 at ゲンロンカフェ」のイベント内でも話題になった、アイザック・アシモフ『はだかの太陽』。

 

これまた読んでないんスよねぇ……。


この本(『ゆるく考える』のこと)を読んでいると、「ゆるく」なんてタイトルに反して、自分の未読っぷりに落ち込む。


「このリストに書かれた本を今年中に全部読まないと、両乳首をニッパーでパチンッパチンッと切り落とすぞ」と、斬乳首刑の執行人に脅されれば、爆速で読んでいくのだが……。

 

アシモフの話がふたたびルソーにつながっていくが、そこで著者が

 

歴史の終わりのあとに現れる「ひきこもりの国」をどのように管理すればよいのか、そしてひとはそこでどのように生きればよいのか、それはこの半世紀のあいだ、世界中で思想的に問われ、また大衆的な想像力においても頻繁に表現されてきた問題でした。

 

と述べているが、まだ実現の前段階で、本当に実現されるのかよくわからないものの、いちおう投票上は決定された(延期されたけど)「ブレグジット」。


ブレグジットがひきこもりの国の問題とただちに言ってよいものか判断しかねるが、その観点から眺めてみたいと思った。

 

「なんとなく、考える13 書くことについて」
「書きながら考えることの楽しさ」を小説執筆でひさしぶりに感じたというあずまん。

しかしこのあと彼は会社経営へと突入していくこととなり、新作小説の連載も長大な中断をはさむこととなった。

 

書き手としてその後も何冊か本を出し、なかには『ゲンロン0』のような重要な本もあるものの、やはり経営者という重圧を他方で抱え続けていたと思う。

 

彼の一ファンとしては経営の重圧から解き放たれつつあるいま、また書き手としての原点の楽しみを味わって欲しいと願わずにはいられない。

 

「なんとなく、考える14 動物化について(1)」
まだ動物的公共性なるものに希望を見ていた時代だった。

 

宇野常寛といっしょに仮面ライダーの同人誌を作っていたのもなつかしい話。

ぼくも平成ライダーのいっき見をしてヘトヘトになった時期を思い出す。

 

「なんとなく、考える15 書くことについて(2)」
『クォンタム・ファミリーズ』の単行本化修正を孤独に行っているときの心境、初めて読んだ。
ふと思ったけど、「AZM48 the movie ビギンズナイト」のラストシーンで、入江哲郎がいう「東さんの引き受けていた二重性」ってもしかして、この時期のこと?w

 

「なんとなく、考える16 仕切り直し」
あ、タイトルが規則壊してきた!

 

そして吹っ切れた、といって、よい文章で批評文が成立しない状況認識を引き受ける決意をし、あらたな言葉で再整理をしている。

 

『ゼロ年代の想像力』の言葉でいえば、サヴァイブ感のなかでの決断主義、というか。仮面ライダーディケイドのコンプリートフォームが呼び出す龍騎サバイブというか。

 

「なんとなく、考える17 「朝生」について」
この放送の直前、あずまんブログからツイッターへの誘導が行われ、ぼくもツイッターを開始した。

 

朝生放送後の、QFと思想地図4号と、ついでにいうならネットスターのイベントなんかも控えた一連の祭りは、まだ20代半ばだったぼくとしてもすごく楽しくて、未来に期待をふくらませた。

 

あらためてこの件について読むと、番組中でベーシックインカムの話が出ていたそうな。


その後、10年。どこかで誰かがいまも議論をしているのかもしれないが、もはや目にする機会のなくなった言葉だな、と。

 

「なんとなく、考える18 ツイッターについて」
この連載でも、少し前まではmixiとかいっていたのに、ツイッター時代に突入した。

 

初期のシンプルなツイッターは好きだった。タイムラインの持つ虚構感が。

 

津田っちのtsudaりを読んで「あ、これからはこの実況スタイルが基本なのか」なんて思った記憶もあり。

 

アージュの吉宗鋼紀さんと著者がつながり、ラジオ出演やイベント出演、『マブラヴ・オルタネイティヴ』の漫画版解説のコンボが決まったのも、この頃のツイッターのおかげか。

 

本稿のなかで触れられている民主主義2.0イベントとは秋葉原で行われたネットスターのイベントだが、待ち時間に周囲の人々を眺めたら、みんな福嶋亮大『神話が考える』を手に持っていたことを記憶している。

 

また、ネットスターイベント終了後に、打ち上げとして番組プロデューサーと著者が飲んでいる最中に開始したのが、いわゆる「飲み会ust」。

 

のちにこの界隈の名物となるアボカドウ氏が初めて突撃したのも、おそらくこの日だったはず。

 

本稿で、著者は2010年代を「ゆるさ」の時代になるかもしれない、と予言めいたことを記している。

 

これはそのとおりになったと思う。しかし、著者の期待とは違った形、どんな社会的に重要な事件や問題でも1、2ヶ月もすれば忘れてしまう、そんなヤバい「ゆるさ」として。

 

「なんとなく、考える19 第二作について」
『クォンタム・ファミリーズ』に続く、『クリュセの魚』のお話。

『クリュセの魚』は文庫化したとき、大学1年生の超絶美少女に買って差し上げた。

 
「なんとなく、考える20 固有名について」
東大駒場でおこなわれたイベント「『クォンタム・ファミリーズ』から『存在論的、郵便的』へ──東浩紀の11年間と哲学」、これは行った。


はやく行き過ぎたので、待ち時間に山森亮『ベーシック・インカム入門』を読みながら待った。時代を感じる。

 

イベントの客席側に小林康夫氏もいて、登壇している著者に質問を投げかけるときに「質問」でなく「つぶやき」と言ったのを聞いて、「おぉ……ツイッター時代に対応してる」と思った記憶がある。

 

この日の懇親会で國分弘一郎氏が昭和ライダーの話をし始めたことをきっかけに、著者が宇野常寛とつなげたはず。

 

 

 
ⅲ 2010-2018

「現実はなぜひとつなのだろう」
三島賞受賞後、國分×千葉とのイベント文字起こしとともに、新潮45に収録された文章。

 

ところで、著者の娘さんである東汐音さん。


ほんのり二次創作の対象ともなっているようで、NHKの「ザ☆ネットスター!」のプロデューサーが作ったノベルゲームのヒロインになったり、吾妻汐音としてPSP版「11eyes -罪と罰と贖いの少女-」にも登場したりしている。はず。ぼくの記憶が確かなら。


「大島弓子との三つの出会い」
このテキストは、なぜ生まれたのだろうか。


著者にこれを依頼できる(つまり大島弓子読者であるということを知っている)人は限られているというか、そうとうなストーカー的読者だと思う。すくなくともぼくは知らなかった。

 

ぼくが著者と同様に、好きな著名人の痕跡や住居がある場所に行った経験。


それは京都市北区大将軍にある、みうらじゅんの生家跡地を訪れたことくらい。
みうらじゅんが童貞だった高校時代から、漫画家やイラストレーターとしてデビューし、イカ天にバンドで出演するまでの間に作られた400曲近い曲をすべて、くりかえし聞いたぼくは、70年代の彼が行動し、トークのなかに出てきた駅や踏み切りを直に眺めて、大変満足した。

 

「少数派として生きること」
夏目漱石『こころ』についての文章。もしかして漱石について書くのは、90年代以来ではないのだろうか。


ぼくは文学部時代のゼミで、まさに『こころ』を読んでいた。
そのころから序盤の海水浴シーンが妙に性的なこだわりをもって書かれているように感じていた。

 

「日記 二〇一一年」
パラリリカル・ネイションズ』……もう10周年が近づいてきている。

 

この作品の構想を最初に知ったのは、『はじめてのあずまん(はじあず)』という同人誌の聖地巡礼中にとつじょ行われた東浩紀インタビューの最中だった。べつにはじあずのメンバーではなかったが、ustreamでインタビューは中継された。なにもかもustで垂れ流された時代だ。


NHKでの取材にさきがけて、このインタビュー中に梅原猛の名前が挙がり、すぐに数冊読んだ記憶がある。

 

「ほか特記事項なし。」という一文に、新世紀エヴァンゲリオンの第四話「雨、逃げ出した後」劇中でミサトの日誌風ナレーションを想起するが、そのつもりで書いてるのかどうか不明。『郵便的不安たち』に収録されている90年代後半の文章だったら確定的なのに。

 

「福島第一原発「観光」記」
この計画、現在どうなっているのかしらないが、続報がなくなってひさしいということは、頓挫してひさしいのだろう。

 

いつのことだったか忘れてが、おそらく2015年あたりのFIFAクラブワールドカップにて、南米王者のリーベル・プレートのインチャ(ファンのこと)が多数来日した際に、原爆ドームを見学に行っていた。

 

試合会場は大阪と横浜であったのにも関わらずわざわざ足を伸ばしたわけだ。京都や秋葉原に行くのでもなく。

その話を知ったときに「福島も観光地化されればおなじように外国人が訪れるかもしれないな」と思った。

 

けっきょく『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』『福島第一原発観光地化計画』の二冊が世に出ても、世の中は大きく動いてはいない。

 

だが、この二冊は長い目で見れば、ふたたび脚光を浴びる日が来るのではないか、と思う。

 

この国では今後も何度も震災が起こる可能性は非常に高いし、世界のどこかで原発事故だって起きるかもしれない。

 

ぼくが小松左京の『大震災'95』の存在を知ったのは、フクイチ本が出版された前後だった。


「震災は無数のコロを生み出した」
二上英朗さんはすごく印象的な人だった。


原町無線塔のイベントで拝見したが、行動力の強烈さには勇気付けられるし、「お、俺もがんばろう」と思わせる人物だった。

 

にしても、2008年編を読み終えた後にこの文章を読んで思ったことだが、SNS使いはじめのころと普及した現在での、人と人とのつながり方について、著者はずっと考えてきたのではないだろうか。

 

「日記 二〇一七年」
『ゲンロン0 観光客の哲学』を執筆していたころの日記。
日々の生活の中で執筆をして、人と会って(その人の名が登場して)、飲酒して、また書いてるところが読めるのはけっこううれしい。


むかしあかほりさとるも『爆れつハンター』かなんかの後書きでやってたし、次巻の後書きでその日記形式で執筆の裏側を見せたら好評をいただいた、と言ってた。

 

「悪と記念碑の問題」
虐殺の記念碑をおとずれた報告はゲンロンカフェで見た。
本稿で語られている著者の問題意識は、著者を経由してぼくも関心をもっているが、いまだにコメントできるほど、この問題に対峙していない。

 

ただこの本の、10年前の連載分である「なんとなく、考える14 動物化について(1)」でもアウシュヴィッツや消費社会の話をしていて、ほんとうに一貫して関心をもっていることがよくわかる。

 

「ゲンロンと祖父」
なんか、こう、グっとくる文章だった。

 

ぼくは祖父にまつわる記憶を、母方の方しかもっていない。

父方の祖父は、ぼくが3歳くらいのころに祖母以外の女性をつくってどこかに消えたらしい(よく知らないけど)。

 

中学生のころまでは毎年夏と冬に家族4人で母の実家である長野の小諸に行っていた。

高校に入ったころには父と母の間には会話がなくなり、ぼくと弟との間にも会話がなくなり、一家は家庭内別居状態となった。
そうなれば家族で母の実家に行くこともなくなり、小諸から足が遠のいた。

 

再会は大学2年生のとき。

祖父が東京の病院に入院することになったときだ。

 

もう死が近かった。じっさい、ここから2週間程度で亡くなっ

た。

 

死が近いにもかかわらず、ぼくはお使いを頼まれた。

 

鎌倉時代の紀行文である『東関紀行』とトルストイの『光あるうちに光の中を歩め』。

 

そして、夏休みに祖父は亡くなり、小諸での葬儀が終わり。

酒が飲める年齢になっていたぼくは、8人兄妹の四男である叔父と居間で焼酎の水割りを飲んだ。

 

その席で、祖父の読書好きを受け継いでいる唯一の人間がぼくだ、と言われた。

 

たしかに親戚を見渡しても、読書をする人間はいなかった。というより、およそ「知」と無縁の一族だった。

 

葬儀が終わると、また小諸との縁が切れ、あれ以来近づいていない。

 

ただ、祖父のことをふと思い出すたびに、今になって思う。

 

死ぬ直前、ほんとうに弱りきっている時ですら、ただの気を紛らわす道具でなんでもよしとしての読書でなく、タイトルをはっきりと指定してきた、あの知的な意思。

 

あれを途切れさせないためにも、いちおうぼくもちゃんと本を読み続けたい、と。


「あとがき」
高校時代、後追いでファンになったスモールルームフィロソフィ哉こと小室哲哉が『夏への扉』を薦めていたので買って読んだ。


2001年頃の2ちゃんねるに存在した剣乃ゆきひろスレで、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』に似た作品として挙がっていた『果しなき流れの果に』を目にした瞬間、即座に買いに走った。

 

その後から現在に至るまでに読み、鑑賞したSF作品群のなかで、東浩紀の小説は最も好みの作品のひとつだった。


趣味の一致度からして、俺が好みでないわけないのだ。

 

というわけで、待ってます。新作SF小説。


最後にちょっと思ったこと

これは東浩紀の批評本を読んでいるときにしばしば感じることだが、SF小説を読んでる感覚に近い。


日本経済新聞での連載分が終わり、「なんとなく、考える」編に突入し、文体や主張が10年前のものになることで、そう感じた。


別の並行世界で受け取ったかもしれない過去からの手紙が、なんらかのエラーや奇跡でとどいてしまっているかのような。

 

東浩紀の批評を読んでSF小説みを勝手に読み取ってしまい、しかもなかば自動的に小松左京で近いものを探してしまう奇病に罹っているぼくとしては、妄想に妄想、連想に連想を重ねると、本全体が『虚無回廊』の人工実存のように見えた。

 

こんな妄想を抱いたのも、本書が時系列順に構成されておらず、10年前の「なんとなく、考える」が真ん中に配されていることによる。

 

このような構成をとっているのは、むろん彼自身が書いた批評をメタ的に自己批評しているからだ。

 

文章を書いて批評する。そこには書き手である著者の固有名が刻印されている。

 

しかし、固有名が刻印されていても、それは人工的な他者としての自分を生産していることになるだろう。

これが、ぼくには人工実存の生産のように見えた。

 

また、『虚無回廊』の序章は「死を越える旅」と題されている。


著者の東浩紀はまだ存命だが、さしあたって「なんとなく、考える」が「時を越える旅」をしてきたのは間違いない。

 

ちなみにこうした情報が時を越える性質についての記述も『虚無回廊』中には存在する。

 

ただ――まだ私の手もとに残る大容量の装置をつかって、これから体験する事の記憶と記録は、残しておこうと思う。私のためには当然だが、それ以上に、はるか未来の、もう私が何者であるかわかたなくなったころに、ひょっとしたら出あうかも知れない“他者”のためにも……。

 

この引用自体が、本書全体の構造そのものだし、本書の構造がテキストが死(時間)を越える性質をあらわしている。

 

つまり本書自体が、人類史にとってテキスト(本、情報)とはなにか、を体現している(ソクラテス(プラトン)への参照(「ソクラテスとポピュリズム」)なんかはまさに)。

 

「死を越える旅」、すなわちSSを探検するのはあくまで人工実存であり、ヒデオ・エンドウは1巻で早々に死ぬ。

 

著者もおそらく40~50年後には死ぬ。

 

だが、テキストは死ぬことなく、死を越える旅を続け、いつか未来の書き手によって掘り起こされ、その時代その時代の文脈や問題意識のなかで読まれていくのではないだろうか。

 

ついでに言うなら、著者の妻はほしおさなえという小説家でもある。

 

最近ヒットしている「活版印刷三日月堂シリーズ」の作者だ。

 

つまり夫婦ともにテキスト(人工実存)を生産しているようにとらえることができる。

 

これは『虚無回廊』にて、ヒデオ・エンドウと、アンジェラ・エンドウ(インゲボルグ)が各々で人工実存を生産したことに類似しているように読める(というか、俺の妄想が捗る)。

 

50年以上先の未来の書き手が東浩紀のテキストを読む際に、あわせてほしおさなえの小説を読む可能性はけっこうあるんじゃないだろうか(さらについでを重ねるなら『活版印刷三日月堂』の1巻に収録された1本目の短編は、子供のために名前を刻印したレターセットを制作してあげる、というなかなか東浩紀を連想させる話でもある)。

 

「私の最愛の夫であり父である遠藤秀夫は死にました。でも、その分身である“彼”は……いまも、五・八光年の彼方で――でなければ宇宙のどこかで、生きていると思います。いつかは、私も“彼”を探しに宇宙へ行き、彼とあいたいと思いますわ……」

 

 

ゆるく考える

ゆるく考える